平安時代の僧侶は、今で言えば国家が資格審査をして、
合格した者に対して、国家の戒壇で、授戒をして認められた者だけでした。
国家公務員です。
いわば、司法試験に合格して裁判官になるようなものです。
資格としては、あらゆる世俗の欲望から出家をして、
厳しい戒律を守る生活でなければいけません。
当然、妻帯、肉食、蓄髪、飲酒など、もってのほかです。
これが、釈尊から続く出家僧の在り方でした。
この仏教の正統的な僧侶の在り方は、
現在でも、世界の仏教教団が守り続けているものです。
例えば、僧侶の妻帯を許している教団は、
1部の例外的なものだけです。
これに対して、日本の僧侶は、どうでしょうか。
もちろん国家資格などではありません。
各教団が、認定すれば、いくらでも僧侶になれるのです。
その基準は、各教団によってバラバラです。
また、教団といっても、宗教法人に承認されているところとも限りません。
簡単に言えば、「自分は僧侶である」、
と言えば誰でも僧侶になれるのです。
現在の僧侶の実態を見れば、
妻帯、肉食、飲酒、蓄髪、ギャンブル、等々 、
多くの僧侶が、一般人と全く同じです。
出家僧と言える生活では、ほとんどないのが実情でしょう。
いったい、こういう僧侶は、真実の僧侶と言えるのでしょうか?
また、創価学会批判として、
「僧侶の居ない創価学会は仏教ではない」
などと言う者がいますが、
自らの無知に気がつかないのでしょうか?
創価学会には僧侶がいないから、仏教ではないだろう。
投稿日
投稿者:
コメントを残す