創価学会は本尊として、どうして偶像を否定するのか。それは信仰の対象に差別があるからだろう。本尊に対する解釈の違いに過ぎないだろう

創価学会は日蓮仏教の信仰団体です。
日蓮仏教における非偶像崇拝というのは、
「信仰の対象に差別がある」とか
「解釈の違い」という次元のものでは無いのです。

崇拝する対象、すなわち本尊とは
「根本として尊敬するもの」を意味し、信仰の根本対象をいいます。
それを表現できる方法論として、偶像では不可能であるということです。
偶像が、良いとか悪いとか、禁止するとかしないとか、
そういうレベルの話では無いのです。

それでは、どうして偶像では表現できないのか、
ということについては、短文で説明するのは無理ですねー。
一応、参考までに下記を挙げておきますので、
しっかり勉強してみてください。

本尊問答抄 弘安元年(ʼ78)9月 57歳 浄顕房

問うて云わく、末代悪世の凡夫は何物をもって本尊と定むべきや。
答えて云わく、法華経の題目をもって本尊とすべし。
問うて云わく、いずれの経文、いずれの人師の釈にか出でたるや。
答う。法華経の第四の法師品に云わく「薬王よ。いたるところにて、もしは説き、もしは読み、もしは誦し、もしは書き、もしは経巻の住するところの処には、皆応に七宝の塔を起て、極めて高広厳飾ならしむべし。また舎利を安んずることを須いず。所以はいかん。この中には、すでに如来の全身有せばなり」等云々。涅槃経の第四の如来性品に云わく「また次に、迦葉よ、諸仏の師とするところは、いわゆる法なり。この故に、如来は恭敬・供養す。法常なるをもっての故に、諸仏もまた常なり」云々。
天台大師、法華三昧に云わく「道場の中において、好き高座を敷き、法華経一部を安置せよ。またいまだ必ずしも形像・舎利ならびに余の経典を安んずることを須いず。ただ法華経一部のみを置け」等云々。
疑って云わく、天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり。不空三蔵の法華経の観智の儀軌は、釈迦・多宝をもって法華経の本尊とせり。汝、何ぞこれらの義に相違するや。
答えて云わく、これ私の義にあらず。上に出だすところの経文ならびに天台大師の御釈なり。ただし、摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは、彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり。文殊問経・般舟三昧経・請観音経等による。これは爾前の諸経の内、未顕真実の経なり。半行半坐三昧には二つあり。一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす。彼の経による。二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども、法華三昧をもって案ずるに、法華経を本尊とすべし。不空三蔵の法華儀軌は、宝塔品の文によれり。これは法華経の教主を本尊とす。法華経の正意にはあらず。
上に挙ぐるところの本尊は、釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。
問うて云わく、日本国に十宗あり。いわゆる俱舎・成実・律・法相・三論・華厳・真言・浄土・禅・法華宗なり。この宗は、皆本尊まちまちなり。いわゆる俱舎・成実・律の三宗は劣応身の小釈迦なり。法相・三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす。華厳宗は台上のるさな報身の釈迦如来。真言宗は大日如来。浄土宗は阿弥陀仏。禅宗にも釈迦を用いたり。何ぞ天台宗に独り法華経を本尊とするや。
答う。彼らは仏を本尊とするに、これは経を本尊とす。その義あるべし。
問う。その義、いかん。仏と経といずれか勝れたるや。
答えて云わく、本尊とは勝れたるを用いるべし。例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするがごとく、仏家にもまた釈迦をもって本尊とすべし。
問うて云わく、しからば、汝、いかんぞ、釈迦をもって本尊とせずして、法華経の題目を本尊とするや。
答う。上に挙ぐるところの経釈を見給え。私の義にはあらず。釈尊と天台とは、法華経を本尊と定め給えり。末代今の日蓮も、仏と天台とのごとく、法華経をもって本尊とするなり。その故は、法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦・大日、総じて十方の諸仏は、法華経より出生し給えり。故に今、能生をもって本尊とするなり。
問う。その証拠、いかん。
答う。普賢経に云わく「この大乗経典は、諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり」等云々。また云わく「この方等経は、これ諸仏の眼なり。諸仏はこれに因って五眼を具することを得たまえり。仏の三種の身は、方等より生ず。これ大法印なり。涅槃海を印す。かくのごとき海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず。この三種の身は、人天の福田、応供の中の最なり」等云々。これらの経文は、仏は所生、法華経は能生。仏は身なり、法華経は神なり。しからば則ち木像・画像の開眼供養はただ法華経にかぎるべし。しかるに、今、木画の二像をもうけて、大日仏眼の印と真言とをもって開眼供養をなすは、もっとも逆なり。
問うて云わく、法華経を本尊とすると、大日如来を本尊とすると、いずれか勝るるや。
答う。弘法大師・慈覚大師・智証大師の御義のごとくならば、大日如来はすぐれ、法華経は劣るなり。
問う。その義、いかん。
答う。弘法大師の秘蔵宝鑰の十住心に云わく「第八法華、第九華厳、第十大日経」等云々。これは浅きより深きに入る。慈覚大師の金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏、智証大師の大日経指帰等に云わく「大日経第一、法華経第二」等云々。
問う。汝が意、いかん。
答う。釈迦如来・多宝仏、総じて十方の諸仏の御評定に云わく「已今当の一切経の中に法華は最もこれ第一なり」云々。
問う。今、日本国中の天台・真言等の諸僧ならびに王臣・万民疑って云わく「日蓮法師めは弘法・慈覚・智証大師等に勝るべきか」。いかん。
答う。日蓮、反詰して云わく、弘法・慈覚・智証大師等は、釈迦・多宝・十方の諸仏に勝るべきか〈これ一〉。
今、日本国の王より民までも、教主釈尊の御子なり。釈尊の最後の御遺言に云わく「法に依って人に依らざれ」等云々。「法華は最も第一なり」と申すは法に依るなり。しかるに、三大師等に勝るべしやとのたもう諸僧・王臣・万民乃至所従、牛馬等にいたるまで、不孝の子にあらずや〈これ二〉。
問う。弘法大師は法華経を見給わずや。
答う。弘法大師、一切経を読み給えり。その中に法華経・華厳経・大日経の浅深・勝劣を読み給うに、法華経を読み給う様に云わく「文殊師利よ。この法華経は、諸仏如来の秘密の蔵にして、諸経の中において最もその下に在り」。また読み給う様に云わく「薬王よ。今汝に告ぐ。我が説くところの諸経、しかもこの経の中において、法華は最も第三なり」云々。また慈覚・智証大師の読み給う様に云わく「諸経の中において最もその中に在り」。また「最もこれ第二なり」等云々。
釈迦如来・多宝仏・大日如来・一切の諸仏、法華経を一切経に相対して説いてのたまわく「法華は最も第一なり」。また説いて云わく「法華は最もその上に在り」云々。詮ずるところ、釈迦・十方の諸仏と、慈覚・弘法等の三大師と、いずれを本とすべきや。ただ、事を日蓮によせて、釈迦・十方の諸仏には永く背いて三大師を本とすべきか、いかん。
問う。弘法大師は讃岐国の人、勤操僧正の弟子なり。三論・法相の六宗を極む。去ぬる延暦二十三年五月、桓武天皇の勅宣を帯びて漢土に入り、順宗皇帝の勅によって青竜寺に入って、恵果和尚に真言の大法を相承し給えり。恵果和尚は、大日如来よりは七代になり給う。人はかわれども、法門はおなじ。譬えば、瓶の水をなお瓶にうつすがごとし。大日如来と金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法との瓶は異なれども、伝うるところの智水は同じき真言なり。
この大師、彼の真言を習って、三千の波濤をわたりて日本国に付き給うに、平城・嵯峨・淳和の三帝にさずけ奉る。去ぬる弘仁十四年正月十九日に東寺を建立すべき勅を給わって、真言の秘法を弘通し給う。しかれば、五畿七道、六十六箇国・二つの島にいたるまでも、鈴をとり杵をにぎる人、たれかこの人の末流にあらざるや。
また、慈覚大師は、下野国の人、広智菩薩の弟子なり。大同三年、御歳十五にして伝教大師の御弟子となりて、叡山に登って十五年の間、六宗を習い、法華・真言の二宗を習い伝う。承和五年御入唐、漢土の会昌天子の御宇なり。法全・元政・義真・法月・宗叡・志遠等の天台・真言の碩学に値い奉って、顕密の二道を習い極め給う。その上、殊に真言の秘教は十年の間、功を尽くし給う。大日如来よりは九代なり。嘉祥元年、仁明天皇の御師なり。仁寿・斉衡に金剛頂経・蘇悉地経の二経の疏を造り、叡山に総持院を建立して第三の座主となり給う。天台の真言、これよりはじまる。
また智証大師は、讃岐国の人、天長四年、御年十四、叡山に登り、義真和尚の御弟子となり給う。日本国にては義真・慈覚・円澄・別当等の諸徳に八宗を習い伝え、去ぬる仁寿元年に文徳天皇の勅を給わって漢土に入り、宣宗皇帝の大中年中に、法全・良諝和尚等の諸大師に七年の間顕密の二教習い極め給いて、去ぬる天安二年に御帰朝。文徳・清和等の皇帝の御師なり。いずれも、現のため当のため、月のごとく日のごとく、代々の明主、時々の臣民、信仰余り有り、帰依怠りなし。故に、愚癡の一切、ひとえに信ずるばかりなり。
誠に、「法に依って人に依らざれ」の金言を背かざるの外は、いかでか、仏によらずして弘法等の人によるべきや。詮ずるところ、その心いかん。
答う。夫れ、教主釈尊の御入滅一千年の間、月氏に仏法の弘通せし次第は、先の五百年は小乗、後の五百年は大乗。小大・権実の諍いはありしかども、顕密の定めはかすかなりき。


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