そういう信仰姿勢は、悪く言えば、
「イワシの頭も信心から」と言われるような傾向になります。
「仏さまは、ありがたや、ありがたや」と拝み、
だまされやすい精神状態になってしまいます。
釈尊の仏教の真意は、そういうものではありません。
法華経の解釈にしても、「大部分では法華経への帰依」というのは、
確かにそうなのですが、それは文上の読み方です。
真意は、天台が『摩訶止観』巻5で、
万人成仏を説く法華経の教えに基づき、
一念三千論を展開したところにあります。
仏教界では、法華経の解釈は、天台の三大部を根本とするのが通常です。
創価学会も日蓮仏教に基づいて、
一念三千論を根底に修行しているのです。
この辺の不理解から、
質問内容のような疑問が出てきているように思えます。
仏教では、どこの宗派でも大部分では法華経への帰依をしている。創価学会のように、自分のところ以外はダメだというのはおかしいだろう
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