質問者さんが感じていうような事は、
信心を自分から喜んで実践する姿勢ではなくして、
受け身の気持ちになったときに起きてくるものですねぇ。
それが悪いということではなくして、だれでも、
そのように信心を感じることがあるということですよ。
だから、信仰を続ける上で、多くの人が、途中の通過時点で、
実感するものだと思えばよいでしょうね。
だれも、初めから終わりまで、喜んで信心を続ける人なんていませんよ。
皆、山あり、谷あり、なのです。
質問者さんも、そういう体験をしながら
「やっぱり、創価学会の信心はすごい」
ということが実感できるようになるものですよ。
それでもまあ、少々 、祖父母に対しては、
反抗的になってみるのも良いでしょう。
「何でもかんでも、そんなに信心、信心と言わんといてよ。
そんなにしつこく言われると、逆に、信心が嫌になるわ」
とでも言ってみてくださいよ。
祖母は、「こりゃいかん」と思って、
あまり、しつこく言わなくなるでしょうねぇ。
祖父母が信心に頑張れ、としつこく言ってくるのがうっとうしい
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