「宗教にだまされてはいけないない」というのは、常識だろう

基本的には、日本人独自のものですねぇ。
その原因となったのが、国家神道を信じた結果、
親戚縁者が殺され、国家も崩壊したという歴史的事実ですねー。
戦後、日本人の宗教観に根ざしたのは、
「宗教とは、まやかしであり、
洗脳されると人生を潰すようなひどい目に遭う」
という恐怖心ですねー。
だから、宗教に熱心な人に対しては、違和感と恐怖心を持つわけです。

ヨーロッパの国々では逆に、
「宗教を持っていない人は、倫理観がなく、
何をするか分からない危ない人間だ」
という宗教観がありますねー。
これが、日本人と先進諸国の宗教観の違いです。
現在では、この傾向が少なくなっていますが。

日本人にとっては、信仰心が強ければ強い人ほど、
危ない人間だと言う見方になったわけですね。
この感覚が、現在でも多くの人の心の中に無意識に残っているので、
質問者さんが言ってるような直感が出てくるのですねー。
例えば、「私は真言宗の寺の檀家です。私は日曜日には、
教会に行っています」という人たちには、
違和感を感じないでしょう。
それは「盲信していない」と思われるからに他なりません。

ただ、創価学会については少々事情が違います。
創価学会員に対するマイナーなイメージは、
創価学会批判者が、意図的に作り上げたものなのです。
SNSの創価学会批判を読んでもわかるでしょう。
まるで、国民の多くの方が創価学会に対して、
批判的だとを思わせるような書き振りです。

ところが現実は、今年の地方選挙では、一般市議選の議員数としては、
政党として、自民党を抜き、第一党なのです。
その公明党支援団体が創価学会ですから、
これは、創価学会員さんが地域の人から信頼されている証拠でしょう。

要するに、タチの悪い創価学会批判者が、長年にわたり行ってきた、
創価学会批判の効果と言えるでしょうねぇ。


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