日蓮仏教は、教義の原理原則と、それを実践する人間の、
現実社会でのあり方とが、見事に調和しているものなのですね。
また、そのように時代、民族、社会、など現実社会に、
正しく対応して信仰活動を続けているのが創価学会なのですよ。
すなわち、教義の原理原則以外は、今いる人たちの社会状況によって、
変化するのが当然であるということですねー。
逆にそうしなければ、
イスラム原理主義者のように異常な集団になってしまうのです。
むしろ、活動のあり方は時代や地域状況に応じて変化させなければ、
発展はしないということですねー。
これを『随方毘尼(ずいほうびに)』と言います。
例えば、一夫多妻制が当たり前の国々においても、
一夫一婦制が法律で決められている国々においても、
創価学会の信仰は国民に根を張ることができるということですね。
性的マイノリティの人に対する見方も同じです。
創価学会員も当然ながらその時代の中で、
根を張って生きているわけですから、
その時代の、性的マイノリティの人に対する見方に影響されますねぇ。
だから、そういう人に対して学会員が、
偏見を持った時代も当然あったでしょうねぇ。
そういう時代では、「信心していたら男になるんだ」
というアドバイスもあり得るでしょう。
ただ、この学会員の言葉は、偏見から来るものではあるけれど、
質問者さんに「幸せになってほしい」
という心から出てきたものでしょうねぇ。
現在は、もちろん、性的マイノリティーに対して、
意識的、社会的な具体的配慮をしなければならないと考えるのが当然です。
公明党も先頭をきって、具体的政策を打ち出しているところですよねー。
現在のほとんどの学会員の方は、性的マイノリティーの人に対して、
同じ信仰者の同志として、偏見なく活動してますね。
しかし、
学会員の方にも様々な考え方を持っている人がいる事は当然ですよ。
それこそ個人の思想の自由ですから。
日蓮仏教からすれば、当たり前のなかの、当たり前ですが、
性的マイノリティの人であろうが、どのような人であろうが、
すべて最高に尊い一念三千の当体です。
現在のあるがままの姿で、即身成仏することは当然ですねー。
私はゲイだが、男子部の先輩に「信心していたら男になるんだ」と言われたことがあった。おかしくないか
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