南無妙法蓮華経は日蓮大聖人が覚知された。釈尊は法華経の悟りを50年の歳月をかけて説いた。説いた人物(仏)については釈尊でも日蓮でも良いが、説かれた法は、全く違う。どちらが正しいというのか

両方とも正しいと言えます。
ですから、両方の意見は対立するものではないといえますね。
しかしまた、両方とも微妙なところで間違っているとも言えます。

仏教の基本的な流れとして、時代とともに、
教えの内容は変化するものだとしています。
そして、それぞれの時代に適した仏教と、
それを説くのにふさわしい資格のある仏が出ると説かれていますねぇ。

「時代に適した」というのは、
その時代に生きる人間の精神的状況にも適しているということを
意味しています。
仏教を理解する上では、実はこれが大きなポイントなのです。

「南無妙法蓮華経は日蓮大聖人が覚知された」
と書かれていますが、絶対的な無の状態の中から、
「覚知された」訳ではありません。

このことを日蓮大聖人は次のように書いています。

《夫れ、仏より滅後一千八百余年に至るまで、三国に経歴して、
ただ三人のみ有って始めてこの正法を覚知せり。
いわゆる、月支の釈尊、真旦の智者大師、日域の伝教、
この三人は内典の聖人なり。
問うて曰わく、竜樹・天親等はいかん。
答えて曰わく、これらの聖人は知って言わざるの仁なり。
あるいは迹門の一分これを宣べて、本門と観心とを云わず。
あるいは機有って時無きか、あるいは機と時と共にこれ無きか》

正法とは、仏教の究極の本質である南無妙法蓮華経のことですね。
このことを知っていたのは、釈尊、天台大師、伝教大師であったと
書かれています。
また、釈尊の死後、同時代に仏教を広めた竜樹・天親も、
知っていたと書かれています。

これらの仏教者が、南無妙法蓮華経を知りながら、
どうしてそれを人々に説かなかったのかといえば、
「機と時と共にこれ無きか」ということですねー。
「機」とは、その時代の人々の精神状況です。
「時」とは、時代そのものの特質です。
このように、知っていたのに説かないこないことを、
仏教的には「内鑒冷然(ないがんれいねん)」と言います。

ですから「釈尊はこの悟りを50年の歳月をかけて説き」
というのも、少々 、説明不足になるわけです。
釈尊は、生涯において南無妙法蓮華経を唱えなさいとは、
教えていません。

どうして釈尊は南無妙法蓮華経を説かなかったのかといえば、
その当時とそこに生きる人間の精神状況は、
南無妙法蓮華経を説く必要はなく、
小乗経で成仏できるものであったからに他なりません。

このように仏教は、究極的な根本の法門は同じですが、
その時代と、そこに生きる人間の精神状況に、
最も合致した仏と教えが存在するものなのです。
しかも、その時代を代表するような仏教者は、
仏教の根本が南無妙法蓮華経であるということを
知っていたということです。

ですから、「説いた人物(仏)については釈尊でも日蓮でも良い」のか、
という事は、両者ともに知っていたというところからすれば、
あまり、重要とも思えないですねー。
逆に、「内鑒冷然」と言う観点から考えれば、
根本の仏教を説く資格があったのか、どうかということだから、
非常に重要なことになりますねぇ。


投稿日

投稿者: