近所に、私に対して、様々な被害を及ぼす人間がいる。ご本尊に祈れば、解決するか

実際の話として、町内会には、そういう、周囲に迷惑をかける人は、
かなり、居ますねぇ。
警察に相談すると、
「実際に被害にあったら連絡してください。すぐに動きますから」
という返事ですねー。

また役所に相談すると、
「役所は裁判所ではありませんから、
当事者のどちらが真実なのか判断できません。
具体的に、例えば、強烈な臭いがするとか、大きな騒音がするとか、
隣の植木の枝が自宅の土地に出てきているとか、
明確に分かる事例があれば、対応します」
という返事ですねー。

質問者さんのような事例で、最も大切なのは、
客観的事実です。
嫌がらせを証明する事実が示せなければ、
だれも相手にしてくれませんよ。
精神疾患の可能性があると思われるくらいですよ。

証拠を示すことができて、それが、明らかに法律あるいは、
条例に反するものであれば、警察も役所もすぐに行動してくれますよ。

だから、その嫌がらせが、「顔を合わしたら冷酷な表情をしたり、
そっぽを向いて嫌な思いをさせる」
というようなことでは、話になりませんよ。
これが、実際の、成人した人間社会の当たり前の状態なのですよ。

ですから、質問者さんは1度、客観的に、
自分の言っている被害が、世間一般に通じることなのかどうか、
しっかりと考える必要がありますねー。

仏法における、祈りがかなうか、かなわないか、
という事には、大前提があるのです。
それは、
「道理に反した祈りはかなわない」ということです。
大聖人様は、「仏法と申すは道理なり」と教えられていますねぇ。

それはそうですよ。泥棒が、「今夜はしっかりと大金が盗めますように」
と祈ったって、叶うわけがないではないですか。

逆に、質問者さんの祈りが、道理にかなったものであれば、
必ず、祈りはかないます。
しかし、これにも大前提があります。
日蓮大聖人は次のように教えていますねぇ。

「潮のみちひぬことはありとも、日は西より出ずるとも、
法華経の行者の祈りのかなわぬことはあるべからず」

このご文でわかるように、祈りがかなうかどうかは、
質問者さんが法華経の行者であるか、どうかにかかっているのです。
法華経の行者とは、
「自行・化他に亘って南無妙法蓮華経なり」です。
自分の幸福だけではなく、友人の幸福のために、
祈り、折伏してあげることです。

よく、職場で、上司から創価学会だということで、
嫌がらせを受けた学会員の社員がいました。
そして、何かにつけて、非常な苦しい思いをさせられました。
この学会員は、それを乗り越えようと、必死で唱題し、祈り、
法華経の行者としての活動をやり抜きました。

その結果、上司の仕事上の失敗が公になり、
人事異動の時に、左遷された、というような体験は、
数限りなくありますねー。
要するに、法華経の行者を迫害したが故に、 仏罰が現れたのですねぇ。

ここが非常に大事なところですよ。
決して、自分の都合の良いような、
自己満足な解釈はしないようにしましょう。
あくまでも、法華経の行者だったからこそ、現証が現れたのですよ。

しかしまあ、このような体験については、
タチが悪い上に、愚かな創価学会批判者が、
創価学会を誹謗中傷するために、悪用するところですねー。
批判している自分の愚かさを棚に上げて、
他者の悪口を言って喜ぶのだから、どうしようもないねぇ。

ということで、質問者さんは、法華経の行者の活動に徹しながら、
「隣人との関係を解決してください」と祈れば、必ず、
最も良い形で解決をするでしょう。

例えば、質問者さんの境涯が低くて、
被害妄想的に捉えて苦しんでいたのであれば、
境涯が高まり、隣人を慈悲心を持って、
受け入れてやれるような心を持つことができるようになるでしょう。
そうすれば、見事な解決になります。

また、被害が客観的な事実となり、警察に被害届を出して、
隣人が刑事事件の犯罪者として処罰されて、
解決することになるかもしれませんねぇ。
いずれにせよ、質問者さんにとって納得のできる結果になることでしょう。


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