実際のところ、最近の日本人には、
そういう考え方をしている人が増えましたねぇ。
「創価学会に勧誘されるのがうっとうしい」
「選挙になったら、公明党への投票依頼で迷惑だ」
などと言うものも、よくありますねー。
だけどこれは、完全に平和ボケした日本人の姿と言えるでしょうねぇ。
市民運動、民衆運動、労働運動、学生運動、などというのは、
そんな平和ボケして、寝ぼけた人間が考えるようなものではないねぇ。
「他者から働きかけられるのがうっとうしい」などというのは、
本当に、寝ぼけてるとしか言いようがないねぇ。
これまでの社会変革の運動というのは、
他者への働きかけがあるからこそ、できたことですねー。
それが嫌だというのは、ずいぶん昔にはノンポリといったねぇ。
世の中を良くするための変革には何の役にも立たない連中ですねぇ。
また、選挙運動を受けることを嫌がるなどというのは、
選挙運動を保証する民主主義の意義が全く理解できていない人間ですねー。
そういう人間は、「個人の自由を尊重すべきだ」と言いながら、
「個人の自由」の前提である「個人の義務」を自覚できない人ですねー。
まぁとにかく、こんな幼稚な「個人主義者・自由主義者」が、
現在の日本人には多くなっていることは事実ですねー。
その延長線上に、高齢者の孤独死があるのを知らないのですね。
創価学会の第二代戸田会長は次のように言っています。
「社会の不幸に目をつぶり、宗教の世界に閉じこもり、
安穏として、ただ題目を唱えているだけだとしたら、
大聖人の立正安国のご精神に反する」
さらに次のようにも言っています。
「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、
平和な社会を築いてゆく中にこそ仏法の実践がある」
真実の日蓮仏教の実践というのは、個人の幸福と同時に
必ず国家社会の平和と繁栄を実現しようとするものです。
これは実は日蓮仏教と限定されるものではありません。
宗教の根本でもあります。
それから考えると、現在の日本の宗教界は、宗教の魂の存在しない、
宗教の抜け殻を尊げに拝んでいるに過ぎないのです。
そして、それを取り巻く一般大衆も、
正月に賽銭を放り投げて、良いことがあると思う程度に、
なってしまっています。
ユネスコ憲章には、次のようにありますねー。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、
人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」
創価学会の平和運動は、このユネスコ憲章の精神です。
考えれば、地球上の動物の歴史の中で、
同類を最も殺したのは人類ですねぇ。
いわば、地球上の動物の中で、最も愚かなのは人類なのですよ。
しかも、人類はその殺戮を永遠に繰り返そうとしているのです。
現在の世界の戦争状況が収まったとしても、
またどこかで、同じような殺し合いが行われるという事は、
だれでも予想しているでしょう。
それは、「人の心の中に平和のとりでが築か」れないからです。
創価学会の平和闘争は、人類が同類を殺し合うという、
根本的な愚かさを、本質的に変革しようとするものです。
とにかく、創価学会員は勧誘や投票依頼で無理に関わってくるのでうっとうしい
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