大学の宗教学でも学びますが、宗教には当然、
高低浅深があります。そこで、宗教批判の原理を学び、
様々な宗教に対する価値判断をするわけですよ。
世界的に、ある一定レベル以上の教義を持った教団は、
必ずと言っていいほど、他宗教を批判しますねぇ。
それは、その批判を通じて、
自宗の優位性を明確にしようとしているからですねー。
仏教については、仏教自体においても、
高低浅深を明確にすべきであると説いているのです。
釈尊は次のように言っています。
「正直捨方便 但説無上道
(正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くのみ)」
これは、釈尊が説いた仏教自体にも高低浅深があるので、
「方便すなわち低いレベルの仏教は捨てて、
無上道すなわち最高の仏教を実践しなさい」
ということですねー。
これは、考えれば、宗教に限らず世の中の道理ですねー。
例えば、病院で治療を受けるのに、
より医療技術の優れた病院で
治療を受けるのが良いのは当たり前ですねー。
創価学会の宗教が、最も優れたものであることを
明確にするために、他の宗教と比較するのは、
自然のことと言えるでしょうねぇ。
ただ、質問者さんの、
「他の宗教をよく批判していました」
という言葉に含まれる、
「そんな言い方までしなくても良いのではないか」
という気持ちも、よく分かるのですよ。
それは、「創価学会の教えのみが正しく他宗教は間違っている」
という言葉の意味する内容が、
質問者さんと創価学会とは相違しているからなのですよ。
どのように違うのか?
「罪を憎んで、人を憎まず」
「罪を憎んで、人を憎む」
この違いですかねぇ。
創価学会は、宗教の評価をしますが、
それと人間自身の評価とは次元が違う話なのですねー。
だから、保っている宗教にかかわらず、創価学会として、
全世界の優れた団体や個人と、非常に広く手を結んで、
世界の発展や平和のために共同して活動しているのですよ。
どのような宗教を保っていたとしても、
社会のために尽力している、人格的にも優れた人が多くいますねぇ。
そういう人たちを支え、たたえるのが創価学会ですよ。
「創価学会の教えのみが正しく他宗教は間違っている」と他の宗教をよく批判しているが、偏狭的だ
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