信仰というのは、結論的には、何かにおすがりして救ってもらうものではないか

あるたが考えている宗教はすべて、
人間の存在以外に、人間の手の届かない、
絶対的な存在、絶対的な者、絶対的な物、絶対的な精神、絶対的な作用、
というような絶対性のあるものを信じているますねー。

そして、それらすべてに共通してる事は、
「人間を超えた絶対的なもの」と言いながら、
その概念を作り出したのは、なんと、人間に他ならないねぇ。
笑い話ですよねー。

人間の精神の働きで、動物と違って優れたところは、
「目に見えないものも信じることができる」ということですねー。
この精神作用がマイナスに働いたのが、
絶対的なものを信じるということですねー。

人間にはもともと、自分の心に備わっている、
優れた精神作用を働かせたいという願望があります。
その願望が、絶対的なものを信じるという宗教心によって、
満足させられるわけですねー。
この精神作用が、存在しないものを信じてしまうわけですねー。
いわゆる、迷信を信じて精神的満足を得るわけです。

別の面から言えば、人間には、不合理なものを
受け入れたいという精神構造があるわけですねー。
それをうまく利用したのが、
ここに書いてある、人間が作り出した宗教なのですねー。
例えて言えば、人間が作り出した「A I 人工 知能」に、
人間が支配され、服従するようなものですねぇ。

そして、人間が宗教の下僕になり、「宗教のための人間」
になってしまうものですねぇ。

創価学会は、そんな、人間が作り出した宗教的概念に基づいた、
幻想や妄想を信じる宗教ではありませんねぇ。
まあ、常識的に考えてみても、そんな絶対者が居るはずがありませんよねぇ。
こんな宗教は、本当に、バカバカしい話ですよ。
有りもしないものを信じて喜んでいるわけですから。

創価学会が信仰しているものは、そんなバカげたものではないのですよね。
このことが、幼稚な創価学会批判者には理解できないのですねー。


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