日蓮正宗と仲良くしていたことがあったことに対して、どのように弁解するのか

そうですねー。
その頃の日蓮正宗は、まだ、
まともな僧侶がいたわけですねー。

それにしても、日蓮正宗というところは、
コロコロと、よく名前を変える宗派ですねー。
明治以降を見てみても、次のような状況ですねー。

1872年から1874年(明治7年)には、日蓮宗
1874年から1876年(明治9年)には、日蓮宗勝劣派
1876年から1998年(明治31年)には、日蓮宗興門派
1899年(明治32年)には、本門宗
1900年(明治33年)には、日蓮宗富士派
1912年(明治45年)には、日蓮正宗という現在の名称に
改称していますねぇ。

その間、最高責任者すなわち法主を決めるのにも、
様々な、醜い権力争いをやっていますねぇ。
なかには、日蓮正宗得意の法主から法主への血脈相承もできずに、
死んでいった法主もいますねぇ。

まあ、日蓮正宗というような宗派は、
坊主の都合で、勝手に名前を付けたわけで、
仏教の本質論から言えば、名称などは、どうでもいいのですねぇ。

だから、本尊については、誰が書写したかが、大事なのであって、
何宗に属していてかなどは、どうでもいいのですよ。
書写した人物が、日蓮仏法の本質を体得していたかどうかですねー。

例えば、日蓮正宗に属していたとしても、前大石寺住職の日顕さんは、
日蓮仏法の本質が理解できずに、本尊を書写したわけですよ。
当然、その本尊は、何の意味もない落書きですねー。
面白いものですねぇ。


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