どうして、池田会長は本尊を書写しなかったのか

単純なことですねー。
そんなこと、すべきではなかったからですよ。
その理由は、結果論から見れば、だれでも理解できるでしょう。

もし、池田会長が本尊を書いていたとしたら、
どうなったと思います?
そうでなくても、タチの悪い創価学会批判者は、
カリスマだ、独裁者だ、教祖だ、カルトだ、
などと寝ぼけた中傷批判を池田会長にしていましたねぇ。
それが、さらに度を越して、世の中の、創価学会批判者の連中が、
一致団結して、創価学会を攻撃してきたでしょうねぇ。
これは、明確に予想できますねー。

もしそうなったら、現在のように、国内は元より、
192カ国地域に広がることはなかったでしょうねぇ。
だから、本尊を書かなかったことが正解だったのですねぇ。

余談ですが、日蓮信仰に人生をかけた文学者に、
宮沢賢治さんがいますねぇ。
彼は国柱会で活発な信仰活動を行いました。
いろいろ賢治さんの研究すると、
興味深いことがありましたよ。

それは、彼は自分で本尊を書いたということですねー。
「宮沢賢治全集」などには、彼自身が書いた本尊の写真が載っていますよ。
国柱会では、信者が本尊を書き表しても良かったのですねー。


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