創価学会に、宗教的に正統性を認める根拠があるのか。その根拠は、以前の学会の方針と矛盾しているではないか

あのねぇ、宗教における、正統性という事は、
それぞれの宗派が独自に決めることだよ。
他宗派が口を出したとしても、全く無意味なことだねー。

例えば、創価学会の本尊の正当性と日蓮正宗の本尊の正統性と
どちらが正しいのか、なんていう事は馬鹿げた話だよ。
なぜなら、「正統」と判断する基準は何だ、と問えば、
それぞれの信じている基準から正統と言ってるわけだよ。
「俺の所では、これが正統の判断基準なんだ」
ということだねー。
他のものが、ゴチャゴチャ言う筋合いのものではないねぇ。

だから、宗教における正統性に、客観的な基準があるわけがないだろう。
例えば、「カトリック」と「プロテスタント」は、お互いに、
「お前はキリスト教ではない」と言い争っているけどさぁ、
どちらに、キリスト教の正当性があるのか、
なんて事は、決定できないよねー。
第三者から見れば、そんな事は、どうでもよいことだよねぇ。

まして、日蓮大聖人が全人類に与えられたご本尊は、
紙に書かれたものだけれど、現存しないんだよねー。
日蓮正宗の総本山に置かれている「大ご本尊」というのも、
大聖人直筆のものではない、という事がほぼ明らかになっているよねぇ。

そうすると、創価学会の本尊に、
「宗教的に正統性を認める根拠」とか、
「その根拠は、以前の学会の方針と矛盾」
とかいう疑問は、何の意味もないことですねー。

何の意味もないことを、いかにも、
創価学会の信仰の本質に関わる大問題のように吹聴するのは、
まぁ、別の意図があってのことなんですよねー。
それが理解できるかねぇ?


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