宗教の正当性を決める判断基準は、
宗教的なものでは決して判定できるものではありませんねぇ。
なぜなら、それぞれの宗派が、自宗が正統である、
と主張するわけですからねぇ。
このことは、世界の宗教史を見れば、一目瞭然でしょう。
キリスト教をとってみても、
どの教団が、客観的に正当性があるのか、
などという事は、誰もわかりませんね。
それでは、宗教の正当性の判断基準は何か。
それは、その教団が、人々の幸福と社会の繁栄、
人類の平和にどれだけ尽くしたのかという、
実績によって決めるしかないのですねぇ。
例えば、教義的に正当性のある教団が存在したとします。
信者数は全員で10名だったとしましょう。
その10名が太平洋の無人島で、外部と断絶して暮らしたとします。
そして、子孫も残さずに、全員、生涯を終えたとしましょう。
この教団は、宗教的に正統性はあったが、
世の中の役には全く立っていませんねぇ。
果たして、このような教団に正当性があったと言えるでしょうか。
このように、 一見、違和感を感じるかもしれませんが、
宗教の正当性というのは、実績以外に決定できるものではないのです。
この点については、おそらく異論が多くあると思いますねぇ。
しかし、ふと考えてみてください。宗教というのは、
科学的実証ができない、
目に見えない存在を扱っているわけですよ。
それに対する評価は、誰人も、間違っているとか、
正しいとか、言える訳がないではないですか。
唯一、評価できるのは、その「見えない存在」が、
教団として現実社会の中に「見える存在」として出てくる、
業績しかないではないですか。
そうすると、日蓮仏法を信奉している教団は非常に多くありますが、
誰が見ても、創価学会こそ日蓮仏法を正統に受け継ぎ、
実践していると言えるでしょう。
宗教の正当性の判断基準は、何か
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