小樽問答というのは、 1955年(昭和30年)小樽市公会堂で、
日蓮宗身延派と創価学会とが公開法論をしたことですねぇ。
参加者は、双方から信者が集まり、 1,000人を超えましたねぇ。
こういう法論会の常識として、終了後、双方ともに、
「我々が勝利した」というものなのですよ。
それはそのはずで、もし、「負けた」と言えば、その宗派は、
存在意義がなくなるわけですから。
それで、日蓮宗側は負けると大変なことになると、
初めから逃げたのですねー。
それは、日蓮宗側の司会者が最初に、
次のように言った事でもわかりますよ。
「本日の法論におきまして、勝敗を決するというような判者、
判定人を別に設けておりません。
そのために勝敗ということには、頓着しないのでございます」
こういう言い訳をして法論を始めたわけですねー。
そうすると、勝敗は誰が決めるのかと言えば、
参加者一人一人が決める事になるわけです。
結論として、どちらが勝ったのか?
結果は明らかでしたねぇ。創価学会側の勝利でした。
現在、ネットで、小樽問答の全録音が聞けますので、
それを聞けば一目瞭然ですねー。
これを聞けば、日蓮宗の信者も、
日蓮宗側の担当した僧侶の低レベルな話に
嫌気が差したのが想像できますよ。
それくらい日蓮宗側の話の内容は、ピントボケしたものでしたね。
ただ気をつけてほしいのは、
タチの悪い創価学会批判者のいつもの、くだらないやり方ですが、
この法論会に寝ぼけた解説を加えて、
創価学会批判をしていますので、だまされないようにしましょう。
当然のごとく、日蓮宗側も、機関誌『みのぶ』の4月号で、
この法論会の記事を載せましたが、
「創価学会に負けた」とはどこにも書いていませんねぇ。
また日蓮宗側の法論当事者であった長谷川氏が、翌昭和31年に
『小樽問答の眞相』という冊子を出版しましたが、
同じく、どこにも「負けた」とは書いていませんねぇ。
しかしながら、日蓮宗が負けたという最大の証拠が、
出ることになりますねぇ。
それは、この法論会以降、創価学会は爆発的に発展をします。
当然ながら、日蓮宗の信者も多く創価学会に入会をしましたねぇ。
ところが、二度と再び身延派から、
公開法論の申し込みはないということですねー。
負けると分かっている勝負はしないということですよ。
小樽問答では、本当に創価学会側が勝ったのか
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