質問内容には、仮定として誤っているところがありますねー。
それは、「学会に入信した」信仰方法と、
学会に入信せずに「同じ信仰を持って拝む」
ということは不可能なことですねぇ。
もしそれが可能であれば、創価学会が必要ないことになりますねぇ。
実際は、創価学会があるからこそ、
これだけ学会員が世界に広まったわけですねー。
だから、質問は、ありえない状況を仮定しているので、
解答のないものになっているわけですねー。
日蓮大聖人は本尊と功徳の関係を
次のように教えられていますねぇ。
《信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益なり》
この場合、法華経と言うのは、本尊のことですねぇ。
「信心の血脈」というのは「創価学会の信仰活動」ということですねー。
タチの悪い創価学会批判者は、これを絶対に認めませんねぇ。
しかし、実際の日蓮仏教の広がりを見れば、
創価学会以外、どこの教団も「信心の血脈」に
該当するようなところはありませんねぇ。
なお、ずいぶん古い話ですが、四国地方から、
日蓮正宗の中心寺院であった富士大石寺に、
旅客船のサンフラワーを貸し切って、
学会員が参拝に来たことがありましたねぇ。
当時はまだ、日蓮正宗が、謗法を犯してなかった頃ですねー。
その時、船中で、勤行したのですが、
各船室のテレビモニターにご本尊を映して、
読経唱題しましたねぇ。
創価学会の本尊はインターネットに画像が多くあるが、これを印刷して拝むのと、学会に入信して学会が印刷した本尊を拝むのは、功徳が違うのか? (どちらも同じ信仰を持って拝むとする)
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