創価学会では、南無妙法蓮華経の題目を唱えることの正しさは、科学的に証明されるというが、誰のどのような発言、説明に基づいているのか

まず、創価学会の信仰がどういうものか、理解できてないようなので、

指摘をしておきますねぇ。

「題目を唱えることの正しさ」と書いていますが、

題目を唱えている宗教団体は、非常に多くありますねー。

日蓮宗各派、立正佼成会、霊友会などもそうですねー。

質問者は、これらの団体が唱える題目と、創価学会の唱える題目と、

どこが違うのか全く理解できていないでしょう。

そういう日蓮仏教の基本的なことが理解できないところから、

こんな、的外れな質問が出てくるわけですねー。

何より、「題目を唱えることの正しさ」

と創価学会が主張しているとすれば、

題目を唱えていないすべての人間は、

「正しさ」の反対で、「邪悪」ということになりますねぇ。

そうすると、現在では世界中のほとんどが「邪悪」な人間、

ということになりますねぇ。

そんな馬鹿げたことがあるわけはありませんねぇ。

だから、質問者が「正しさ」と言う言葉から、

理解しているような概念で、創価学会のことを判断するのは、

幼稚な誤りを犯すことになりますねぇ。

しかし、この質問は、形而上の問題と形而下の問題が、

どのように関連しているのか、という質問にもなっていますねぇ。

科学的に証明する対象は、当然ながら、形而下の問題ですねー。

もともと、宗教は形而上の問題であり、

科学的に証明する対象ではありませんねぇ。

例えば、「神が作用するために消費するエネルギーは、

どこから出てきたものか?何かが作用するためには、

ニュートン力学的には、必ずエネルギーが必要だ。

絶対的な無の空間で作用する働きは、ありえない」

とか、

「魂が存在するというのであれば、

人間が、死ぬ瞬間も体重をはかり続ければわかるはずだ。

死んで魂が抜けたとき、体重がどれだけ変化するのかを調べれば、

魂の質量がわかるはずだ。ところがそんなことはありえない」

というような話になりますねぇ。

従って、この質問は、

「本来、形而上の宗教的問題は、

形而下に力用を及ぼすはずがないのに、

創価学会は、その力用を科学的に証明できる、

というのはおかしいではないか」

と言う見方に受け取れますねぇ。

そうすると、この質問は、「的外れな幼稚な質問」どころか、

実に、宗教的に正鵠を射た高邁な質問であるといえますねぇ。

創価学会が世界にこれだけ広まった1つの要因は、

実は、形而上の作用が形而下に科学的法則的に、

例外なく作用を及ぼす、というところにあるのですねぇ。

質問者は、その根拠を求めているのですが、

調べればいくらでもあるじゃないですか。

例えば、世紀堂から上梓された、

『脳科学からみた「祈り」』(中野信子・著)

では、信心が脳を活性化し免疫力を高め、

健康長寿の源であると力説していますねぇ。


投稿日

投稿者: