再来年に完成する創価学会の関西池田記念大講堂には、どの御本尊が安置されるのか。 もしかしたら、そのタイミングで池田大作氏が生前にしたためられた直筆の御本尊の存在が明かされ、それが安置される可能性はないか

そういう本尊を安置することはありませんねぇ。
なぜなら、そんな必要は、ないからに他なりませんねぇ。
質問者の論理は、創価学会と社会事象との関係性について、
表面的な認識しかできていないところから来てますねぇ。
それが、質問文のような内容を妄想する原因になっているのですよ。

質問者の、社会事象への認識の誤りは、
新カント学派の唱える「真・善・美」の価値体系で、
観察しようというところにありますねー。
特に創価学会の本尊について、
「真」という価値に基づいて判断しているところに、
思考が混濁する原因がありますねー。

創価学会の牧口初代会長は、
「真」の代わりに「利」を置く、
「利・善・美」の価値体系を確立しましたねぇ。

どういうものか、簡単に言えば、
「原子核融合反応は『真』であるが、
原子爆弾にもなれば、癌の治療にもなる。
すなわち、真は善にも悪にもなりうるものであり、
人間にとって価値になるとは限らない」
ということですねー。

この価値体系で、創価学会の本尊論を研究すれば、
現在の創価学会の本尊に対する考え方が、
日蓮仏教に適合したものであることがわかりますねぇ。
同時に、質問者の発想は、本人は、
「創価学会の痛いところを突いている」と喜んでいるようですが、
全く、的外れなのがわかりますねぇ。

質問者は、神経質な人間のようなので、先に断っておきますよ。
この回答は、原理的なことを書いておきましたよー。
本尊に対して、具体的な整合性を書くと誤解をされそうなので、
それは省略していますよ。
「具体的なことを書いていないじゃないか」
などと、気分の悪い返信をしないようにねー。


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