同じような質問が時々出ますねぇ。
回答は簡単なことですよ。
時代も社会も、年月の経過とともに変化しますね。
その中に存在する人間の組織も、
年月の経過とともに、変化して当たり前ですねー。
この変化に、対応できない組織というのは、
衰亡するしかないのですねぇ。
創価学会も時代とともに発展してきた宗教団体ですねー。
時代の流れを敏感にキャッチして、先取りをしたからこそ、
これだけ、世界に発展したわけですねー。
国立戒壇の件も、その1つに過ぎないのですよ。
時々 、幼稚な創価学会批判者がいてねぇ、
「 1度言ったことを変えるのは、
都合の良い、社会への迎合主義だ」
などと、寝ぼけたことを言っている人がいるんだよねー。
こういう人たちは、「原理主義」ということに、全く無知なのだよねー。
現代の社会に通じない、イスラム原理主義者と考え方が同じだねー。
例えば、イスラム教の聖典コーランには、
「手で盗みを働けば、その手を切り落とせ」
というようなものがありますねー。
それで、実際にイスラム原理主義の国では、
泥棒をしたもの手を切り落とす処刑がなされるのですねー。
ちょうど、「創価学会は、国家権力によって、
特定の宗教の施設を建てることを意味する、
国立戒壇というのを取り下げるのは、
宗教的信念の敗北だ」
などと言っているのが、「手を切り落とせ」と言ってるのと同じですねー。
このような創価学会批判者が、
自らの、異常な原理主義的性格に気がつかないから、
「幼稚な・寝ぼけた」と言っているのですよ。
決して、感情的な嫌味ではなく、実態ですねー。
また、創価学会が、国立戒壇について言及したのは、
どのような背景があったかを精査すれば、
幼稚な創価学会批判者がいうような事は、
全く、的外れなことがわかりますねぇ。
創価学会が国立戒壇は最終目標であると発表しながら、一転して否定した事はおかしくないか
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