仏像を拝んで、良いことがある、と思うのは、
好きな絵画を鑑賞して、心が満たされるというのと同じですねー。
創価学会も東京富士美術館を設立して、
芸術的な作品を社会に広く提供していますねぇ。
ちょうど今、東京富士美術館の企画による
「世界遺産 大シルクロード展」の宮城展
(主催=東北歴史博物館、中国文物交流中心、河北新報社、東日本放送)
が6月9日まで、宮城県多賀城市の東北歴史博物館で行われていますねぇ。
これは、創価学会が文化遺産を大切にする精神の現れですねー。
創価学会の皆さんは、おそらく一般の人よりも多く、
様々な芸術作品を鑑賞していますねぇ。
その中には、当然、仏像など宗教的な芸術品が多くありますよ。
創価学会員では無い人が、仏像を拝む場合も、
「拝めば、超人的な仏さまから、ご利益がもらえる」
などと思っている人など、ほとんどいませんねぇ。
「そんなことあると思わないけど、あったらラッキー」
というくらいでしょう。
普通に考えれば、「何かを拝めば良いことがある」
などと言うことが、あるわけはない事は皆、知っていますよねー。
もし、そんなことが本当にあったら、
誰も仕事もせずに、朝から晩まで拝んでいるでしょうねぇ。
拝んで楽をしている人に御利益があって、
拝まずに、苦労して仕事をしている人に御利益がない、
というような仏が居れば、これはまさに、
人間を侮辱した差別仏ですねー。
「イワシの頭も信心から」というのはこれですねー。
誰もそんなこと信じていないですよ。
だから、仏像拝んでいる人の精神状態は、
たいていは、芸術作品を鑑賞するのと同じなのですねー。
これは、創価学会員だろうが、誰だろうが同じですよ。
創価学会の信仰というのは、そんな芸術鑑賞のレベルとは、
全く次元の違うものなのですねー。
だから、質問者さんの言っていることは、
「創価学会員は鳥居を潜ってはいけないのですか」
と同じようなレベルなのですねー。
そんな事は、創価学会の信仰にとって、どうでもよいことなのですよねぇ。
しかしまあ、創価学会員以外の人には、
こんな疑問を持ってる人が、けっこう居られるので、
それは、本当に意外なのですよねー。
創価学会は、仏像を拝んでも、良いことがあると思わないのか
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