創価学会には現在、内発性 vs 外発性・質的変革 vs 量的拡大・理論的因果 vs 実証可能性・普遍性 vs 組織性・人法一箇 vs 個人依存といった複数の軸で構造的な矛盾関係が存在します。これらは単純に「誤り」と断定するものではなく、むしろ大規模宗教組織に共通して生じやすい問題とも言えます。重要なのは、これらの点をどのように解釈し、現実の信仰実践とどう整合させるかだと思います。構造としてどう理解すべきでしょうか。

質問全体に共通している事は、
日蓮仏法・創価学会に対して、認識のレベルが浅いところから、
それぞれの疑問が出ていますねぇ。

何より、最後に「構造としてどう理解するか」
と書いていますが、質問者さんが提起している疑問は、
構造として理解したとしても解決することではないのですよ。
逆に、構造として理解しようとしているから、疑問が出てくるわけですねー。

簡単に言えば、日蓮仏法・創価学会を「構造として理解」すれば
本質が把握できる、と考えることが、基本的な誤りですねー。

① 内発性と組織動員の矛盾

人間の現実を考えれば、これは矛盾したことではないでしょう。
むしろ、「内なる生命の変革」は、
必ず外的動機と結びついているものですねぇ。
質問者さんの考え方からすれば、「功徳が欲しいからという外的動機を
純粋な、内なる生命の変革に結びつけてはいけない」
ということになりますねぇ。

これは要するに、実大乗経である法華経に対比すれば、
レベルの低い小乗教の範疇ですねー。
外的動機すなわち欲望を内なる生命の変革に対する、
不純物と考えているわけです。
ここに、小乗教の戒律主義があるわけですねー。
小乗経は、人間の本質を捉えたものではありませんよ。

実大経である日蓮仏法は、外的動機、欲望を内なる生命の変革への
エネルギーとするわけですねー。
「金が欲しいから、創価学会の信仰に頑張って、
金を稼げるだけの社会的実力と境涯を得る」
これで良いわけですよ。これが人間の真実の姿ですねー。

小乗教のような、ある意味で「ひ弱な道徳者」のような宗教は、
現代社会の、世界的宗教になる要素はありませんねぇ。
創価学会員の実情が『「内発的信仰」と「外発的行動」が混在』
というものではない事がわかったでしょうか。
特に『混在』というのは不適当な言葉ですねぇ。

② 質的変革と量的拡大の混同

質問者さんの言っている事は、ドグマ的な新興宗教の特徴ですねー。

「私達は、純粋に法(真理)の弘通を行い、
質(生命変革)をなしているので、幸福です」
と信者が集まって喜んでいる所へ、
ミサイルが飛んできて、信者全員が犠牲になったとしたら、
一体なんのための信仰だったのでしょうか。

創価学会・日蓮仏法というのは、そんな自己満足や、
妄想的なぐさめではないのですねぇ。
日蓮大聖人は次のように教えていますねぇ。

《人のためによる火をともせば、人のあかるきのみならず、
我が身もあかし。されば、人のいろをませば我がいろまし、
人の力をませば我がちからまさり、
人のいのちをのぶれば我がいのちののぶなり。》

これが、日蓮仏法における人と人との繋がりなのですねー。
“自分だけの幸福”もなければ、“他人だけの不幸”もないのです。
自分も周囲の人も共に幸せになっていく中に
真実の幸福があるのですねぇ。

さらに戸田第二代会長は、次のように語っていますねぇ。
「自分もみんなも共に幸福になろうというのが本当である」
「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない、かんたんなこと。
自身の幸福だけでなく、他者の幸福、
ひいては全人類の幸福(広宣流布)を
追求することこそが本当の幸福である」

自分一人だけの幸福は真の幸福ではなく、
苦しんでいる人を助け、他者の幸せを願う心の中に、
自身の確固たる幸福境涯が築かれるということですねー。

だから、「質(生命変革)と量(人数)のズレが生じる」
という次元の話ではないのですよねー。

③ 因果論と現実結果の乖離

これは、日蓮仏法の因果論が
正確に理解できていないところから来ていますよ。
日蓮仏法は、過去、現在、未来を貫く因果の理法ですねー。
これは、簡潔に言えば、現在の人間の存在を
完璧に解き明かしているということですよ。

質問者さんの疑問からすれば、
「人間は生まれながらにして、どうして様々な差があるのか」
という答えは出ませんねぇ。
人間は、遺伝子によって、過去世からの因縁を引き継ぐわけでしょう。
これは生まれながらにすべてが平等で、
ゼロから出発という事ではないことを証明しているわけですねー。

質問者さんの言ってる事とは逆に、因果論の法則があるからこそ、
「現実には結果に個人差が大きく出」るわけです。

④ 普遍性と組織依存性の緊張

これは、「理論的に検討余地がある」のではなくて、
余地などないのですよ。
そうかんがえる原因は、
日蓮仏法の「総別の二義」が理解できていないのですねぇ。
大聖人は次のように教えていますよ。

《これには総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば、
成仏思いもよらず。輪廻生死のもといたらん》

「普遍性」とは総じてですねー。
「組織依存性」とは別してですねー。
この理論が理解できていないので、疑義になっているわけですねー。
総別の二義が理解できないと、成仏すなわち、悟りを開けないし、
輪廻生死すなわち、迷いの人生になるという事ですねぇ。
説明は、長くなるので省略しますよ。

⑤ 人法一箇と指導者依存の問題

「人法一箇」というのは、指導者依存とは関係のない話ですよ。
質問者さんの言いたい事はよく分かるのですが、
「特定人物モデル」に依存するのが問題なのであれば、
スポーツにおける指導者や習い事の師匠も
問題だということになりますねぇ。

そうすると、ドイツの心理学者、クルト・レヴィンが提唱した、
人間集団理論(集団力学・グループダイナミクス)は、
人間の集団として問題行動であるということになりますよ。

創価学会・日蓮仏法は、質問者さんが疑問を呈しているような、
平面的なレベルの教えでもなければ、運動体でもないのですねぇ。
日蓮仏法で説かれる三世間に合致した人間把握であり、
それを基にした組織・運動体なのですねぇ。

三世間というのは、日蓮仏法において、
存在や世界を構成する3つの視点ですねー。

天台の「一念三千」の理論において、
十界(生命の境涯)が展開される場として、
五陰世間(個人の心身)、衆生世間(生命体)、
国土世間(環境)の3つを指す概念ですねー。
この三つが相依り合って生命の全体を形作っているのです。

創価学会・日蓮仏法はその三世間の中に 、
立体的、躍動的に人間や組織を捉えているものなのですねー。


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