なぜ、宗教の強引な勧誘かつど、折伏(しつこい勧誘)などは、今でも世間に嫌なイメージとして残っているのでしょうか?たとえば、創価学会は、昔、かなり強く入会をすすめる活動をしていた時期があったと言われています。そのため、今でも「ちょっと怖い」「関わりたくない」と感じる人がいるのも事実です。でも、ここで考えたいのは人間の脳や心のしくみから見ると、なぜそうなるのか?ということです。① 人は「強く迫られる」と反発する② 強いイヤな体験は、脳に長く残る③ 仲間意識は強いけれど…④ 大切なのはもし宗教が「みんなを幸せにする」ことを目指すなら、どうすれば• 押しつけにならず• 怖がられず• でも信念は大事にできるのでしょうか?

①から④まで、人間の精神の働きから見ると、
すべて、まったく逆ですねー。
1つずつ見ていきましょう。

① 「人は強く迫られると反発する」
そんな事ありませんねぇ。逆ですねー。
強く迫られると、従順に従うのが普通ですね。
特に日本人は、
「強い者には巻かれろ」
「郷に入れば郷に従え」
「寄らば大樹の陰」
とあるように、強く求められるならば、
「自我を殺して、従っていくのが、人生の得策である」
というのが人生訓になっていますねぇ。

だから、太平洋戦争のときには、だれも反対せずに、
「お国のため」と言って、敵を殺し、日本兵も死んでいきましたねぇ。
現人神である天皇、軍部という、強く攻められるものに対して、
無条件に従っていくのが人間ですよ。

さらに、そういう性質の人間が「自分で決めたい」
と思う訳がありませんねぇ。
「自分で決める」という事は、自分が責任をとることですねぇ。
責任を取る事は精神的には、ストレスになるのですよ。
上に挙げたことわざは、自分が責任を取らなくてもいいから、
ストレスから逃れられるから、強いものに従っていくのですよ。

心の状態として、無責任なほど、楽なものはないのです。
戦後、戦争責任を問われ出したとき、
多くの人が、「お上の命令に従っただけ」と逃げましたねぇ。
人間というのは、責任を負いたくないのですよ。
これが人間の心理ですね。

だから「人は本能的に、自分で決めたい」
などと言う精神状態にはなりませんよ。

従って、質問者さんの言うような精神構造から、
創価学会の、強い折伏の弊害を解釈するのは誤りですねー。

② 「強いイヤな体験は、脳に長く残る」
これも逆ですよ。
人間は、トラウマやネガティブな体験は、
早く忘れようとする精神の働きを起こしますねぇ。
「嫌な事は早く忘れたい」というではないですか。

ネガティブなことをいつまでも引きずって人生を歩みたくないというのは、
人間の当然の精神作用ですよ。

だから、「大人の赤ちゃん返り(幼児退行)」
という心理作用があるでしょう。
毎日の生活や仕事の中で、人間関係や
さまざまな、本人にとっては、不都合なことから起こり、
強いストレスが続く場合、
人間は、それを忘れようとして、悩みも苦しみもなかった
幸福な赤ちゃんの時のような精神状態に戻って、
自己防衛するものなのですよ。

だから、創価学会の勧誘・折伏が、
「強いイヤな体験として脳に長く残る」ということは無いわけですねー。
もしそんなに嫌な体験であれば、人間の精神作用からすれば、
忘れようとするはずですねー。
逆に言えば、折伏に対して嫌な思いを長年、しているというのであれば、
それは、大したストレスもなかったということですよ。

③ 「仲間意識は強いけれど、外部の人間には警戒する」
というような事は、創価学会の人達の精神状態とは、
全く逆のことですねぇ。
なぜなら、創価学会の人は、創価学会以外の人たちを
できるだけ多くを味方にしたいと常に願っているからですよ。

創価学会の信奉している日蓮仏法の本質は、
「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ」
と日蓮大聖人が教えられてるように、
信心している人、していない人などと分け隔てもなく、
あらゆる人たちと、仲良くして、尊敬されるような生き方をすることが、
信仰の本質中の本質であると教えているわけです。

学会員の精神状態を、
「仲間意識は強いけれど、外部の人間には警戒する」
などというのは、まったくの的外れですねー。

④ 創価学会は、「みんなを幸せにする」ことに徹しているわけですよ。
そのためには、「押しつけにならず・ 怖がられず」というのは、
分り切った、当たり前のことですよ。
押し付けや怖がらせで、人々が創価学会に入会するものではありませんよ。
そんなことで入会するなどというのは、人間に対して失礼な話ですよ。

「理は信を生む」これですねー。
創価学会の信仰というのはどのようなものか、
理性的に判断することによって、初めて信じる気になるのですよ。
だから日蓮大聖人は、
「行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず」
と教えられているのですよ。

宗祖が、「しっかりと理性を働かせて、
創価学会の信仰とはどのようなものか、理解しなさい。
理性で学ぶということがなくなれば、創価学会の信仰もあり得ないのですよ」
と教えているわけですねー。
創価学会に入会する動機が「押しつけ・怖がらせ」
などというのは、とんでもない言いがかりですねー。

「人が宗教団体を嫌う」というのは、
質問者さんの見方であって、客観的な社会情勢では無いですねー。
多くの人たちが、年末年始、結婚式、葬式、墓参りなどなど、
宗教団体と関わっているではないですか。
嫌っているのではなくして、逆に、様々な面で頼っているのが、
実情でしょう。

ただ、戦後、かなり長い年月にわたって、
宗教団体が、胡散(うさん)臭いものとして
嫌われていたのは歴史的事実ですねー。
それは、国家神道という、絶対的に正しいと信じ込まされていた宗教団体に、
ある日突然、裏切られ、そのために家族を犠牲にし、
人生も破壊された日本国民の、
晴らすことのできない恨みの表れですねー。

以上、創価学会についての話でした。


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