1点についてだけ考えてみることにします。
それは、「諸法と実相」ということですねー。
日蓮仏法においては、あらゆる存在を「諸法実相」と捉えますね。
質問者さんは、この諸法と実相の関係性が明確になっていないところから、
「妙法の一部と解釈する」
「仏法が優位に立ち続ける前提」
「『法』と呼ぶ根拠は何」
というような本来、諸法実相のテーマからすれば、
可能性のない質問になっているわけですねー。
ただ、「諸法実相」というのは非常に難しい内容で、
おそらく、正確に理解している人は、
ほとんど、いないのではないかと思いますねぇ。
少々説明してみましょう。
仏教における梵語「ダルマ(dharma)」の意訳が「法」ですねぇ。
音写されて「達磨」と表記されますねぇ。
このダルマは、現在もインドでは、日常的に使われる言葉ですが、
仏教的に見ると、歴史的に深い意味を持ったものになりますねぇ。
仏教における「ダルマ」の本来の意味は、
本質的に「保持するもの」「支持するもの」を意味しています。
内容は、大きく2つに分けられますねぇ。
① 「真理」を意味する。
仏教の「教義」「教法」「法則」など。
② 「存在」「存在するもの」という意味。
存在の「性質」「徳性」、さらには「具体的な存在」を構成している、
実体的要素なども含めて考えられる。
質問文を読むと、この①と②を混同しているようですねー。
「宇宙の根本法」という場合の「法」は、 ②ですねー。
それを①と混同しているので、
「『法』と呼ぶ根拠は何」というような、
無意味な質問になっているわけですねー。
日蓮仏法で「法」と言えば、 ②の意味ですねぇ。
その千差万別に変化する法を諸法というわけです。
その諸法がすなわち、実相だと言うわけですねー。
日蓮仏法は、この諸法実相が、
あらゆる存在の真実の姿であるということですね。
実相というのは、「すべての物事のありのままの真実の姿」
ということですねー。
それは、固定的な実体ではなく、変化する諸法の現象そのものが、
真理を体現しているということなのです。
ここが、非常に理解しがたいところですねぇ。
まあ、簡単にはわかりません。
しかし、これが、日蓮仏法の真髄中の真髄ですねー。
まあ、それでも、例えで考えてみましょう。
人間の命について、当てはめてみましょう。
生きている人間は、精神的にも肉体的にも様々な活動をしますねぇ。
これが諸法ですねぇ。
それらの活動ができるのは、命があるからですねぇ。
この命が実相です。
質問者さんが「生命創造」と言っているのは、実相ではなくして諸法ですねぇ。
どうしてかと言えば、例えば、化学的医学的に、無機質から有機物を作り、
生命体を発生させとしましょう。
それは、絶対無から生命を発生させたのではなくて、
生命が発生する可能性があったからこそ発生できたわけですねー。
だから、生命が発生する可能性こそが実相であり、
そのための様々な要素が諸法になるわけですねー。
さて、この命と心身の活動とは、分けることができるでしょうか。
分けることはできませんねぇ。
命があるから、活動ができるわけです。
同時に、命のある証明は、活動していることによって、
可能になる訳ですねぇ。
命が、すなわち活動であり、活動が、すなわち命ですねぇ。
これが諸法実相ということです。
諸法を離れて実相はなく、実相を離れて
諸法もない訳です。
しかしながら当然、イコールではありませんねぇ。
このことが、法華経方便品第2で明かされるのですねぇ。
この品には、諸法実相を把握する項目として十如是が説かれていますねぇ。
そして、仏と九界の衆生は、生命としてその本質はまったく同じで、
九界の衆生も、どのような境涯にあっても、
成仏が原理的に可能になることが説かれていますねぇ。
日蓮大聖人は妙楽大師の「金剛錍(こんごうべい)を
引用して、次のように教えられていますねぇ。
《「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、
十如は必ず十界、十界は必ず身土」》
この文は、森羅万象は、不変の本性と随縁の万法と
一体不二であることを表していますねぇ。
「不変の本性」とは実相であり、
「随縁の万法」とは諸法ですねぇ。
だから、質問にある「宇宙の根本法」は、
質問者さんの気持ちからすると「不変の本性」を
指していると思われますから、
「生命創造や意識設計」と言う「随縁の万法」によって、
実相を説明できるのか、創造することができるのか、
という疑問になるわけですねー。
そうすると当然、諸法から実相を説明もできなければ、
創造することができないわけですから、
疑問自体の可能性がないことになりますねぇ。
もう少し分かりやすい例で考えてみましょう。
水という物質とH2Oという化学式の関係から見てみましょう。
水は、水蒸気という気体にもなったり、
氷という個体にもなったり、様々な変化をします。
これが諸法です。
様々に変化しますが、化学式で見ればH2Oであり、
変化しませんねぇ。これが実相です。
水の変化をいくら説明したとしても、
H2Oという化学式には到達しませんねぇ。
質問内容は、本来、到達の可能性がないものに、
可能性を求めているわけですねー。
要するに、次元の違うものを結びつけようとしているわけですねー。
従って、回答も不可能になるわけですねー。
日蓮仏法は「宇宙の根本法」とされますが、もし将来、生命創造や意識設計が科学的に可能になった場合、その文明も妙法の一部と解釈するのでしょうか?それとも、仏法が優位に立ち続ける前提でしょうか?
投稿日
投稿者:
コメントを残す