何か、創価学会の信心を思い違いされていますよー。
創価学会の信心というのは、限りある人生において、
幸せに生きていこうとするための信仰ですよ。
例えば、日蓮大聖人の教えに
《法華経の行者の祈りのかなわぬことはあるべからず》
とありますねー。
「ご本尊に祈れば全てかなう」ということですねー。
これも、毎日をより良く生きていくための指針なのですよ。
「祈れば病気が治る、病気にかからない」のであれば、
人間は死なないことになるではないですか。
もっと言えば、「宝くじが当たるように祈れば、必ず当たる」
ということになるでしょう。
こんなバカバカしいことがあるわけがないでしょう。
質問者さんは、創価学会の信仰というものを、
こういう、バカバカしい、とらえ方をしているのですよ。
それは、創価学会の信仰ではありませんねぇ。
そんな宗教は、ありえないことを信じるカルト教団ですよ。
それでは、創価学会の信仰とはどういうものか。
例えば、医者から、「末期がんのため後、3ヶ月の寿命です」
と言われたとしましょう。
その3ヵ月を最大限に、幸福に生き抜くことができるようにするのが、
創価学会の信心ですよ。
この3カ月間を、「あと3カ月で死ぬのか、こんな悲しいことはない」
と絶望しながら、生きるのか、
「ご本尊様に祈れば、必ず、病気を克服できる」
と希望を持って生きるのか。
この違いですよ。
信心すれば「最初から無病息災で暮らせる」などと言うことが、
現実の人生にあるわけがないではないですか。
そんな宗教があれば、それこそカルトですよ。
人それぞれ千差万別の人生であるのが現実でしょう。
病気で苦しむ人、経済的に苦しむ人、性格で苦しむ人、
対人関係で苦しむ人、
皆、様々な苦しみを背負って生きているのが事実でしょう。
創価学会の信仰は、この世の、それぞれの限られた人生を、
その人なりの生き方の中で、
毎日を幸せに生きていくためにあるのですよ。(リョーゼン語録)
創価の力で「命が助かった」や、「病気や怪我が完治した」などと言って喜ぶ以前に、「本当に創価に凄い力がある」としたら、「最初から無病息災で暮らせる」とは考えませんか。
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