創価学会では、『人間革命』とは「宿業を宿命転換し、境涯を変革すること」であり、苦難・病・迫害は「信心を深める増上慢の打破」「仏界顕現の機縁」と教えられます。また、日蓮大聖人は「凡夫即仏」「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を体現された御本仏であり、末法の地涌の菩薩である学会員は、その御精神を現代に実証する使命を担うとされます。しかし、教学的に考えると拭えない疑問があります。日蓮大聖人御自身は、・立正安国の諌暁は国家に受け入れられず・晩年は病を抱えたまま御入滅され・門下は生前から分裂し、社会的勝利を得たとは言い難い御生涯でしたこれは事実です。それでも大聖人は「久遠元初の自受用報身如来」「文底下種仏」とされます。つまり、大聖人は苦難を現象的に消滅させた存在ではないにもかかわらず、仏であると教義上位置づけられています。どういうことですか。

質問文全体が、まさに、ヘ理屈ですねー。
質問者さんは、へ理屈が好きなようですねー。

こんなことを創価学会が言い出すと、だれも、
入会する人など出てこないでしょうねぇ。
「そんな、へ理屈はなど、どうでもいい」
と学会員からも学会員でない人からも、そっぽを向かれるでしょうねぇ。

それでは、宿命転換、人間革命、実証とはどういうものか、
質問者さんが創価学会に入会して信仰行動を起こしたとしたら、
どうなるのか、ということで考えてみましょうかねぇ。

質問者さんの精神へ理屈性は、どうやら、本質的なものですねぇ。
心がけや精神修養といったものでは、改善できないものです。
このような心の根源的なへ理屈性を宿命と言っているのですよ。
いかなる方法でもってしても、変革できないので、宿命というわけですねー。

質問者さんは、自身の宿命であるへ理屈性によって、
ずいぶん、人生に損をしているわけですよ。
これほどへ理屈な人間は、周囲の人から嫌がられますねぇ。
人間関係がうまくいかないでしょう。

また、書いた文章も、へ理屈が底流にあるので、
どれほど、優れた内容のものを書いたとしても、
読者の共感を呼びませんねぇ。
そういう文章には、どこの出版社もお金を出してくれません。

さて、このような質問者さんが創価学会・
日蓮仏法を実践するとどうなるか。

まず何より、宿命であるへ理屈性を乗り越えることができるのですねー。
創価学会・日蓮仏法は、 どのような方法でも解決できなかった、
宿命というものを転換できる信仰なのですよ。
これを宿命転換というのですねー。

そして、へ理屈性で、周囲の人たちから嫌がられていたのが、
宿命転換によって心の状態が変革し、
多くの人たちから信頼され、好かれるような人間になれるわけですねー。
これを人間革命というのですねー。

次には、へ理屈性を乗り越えた精神で、文章を書けば、
優れた内容が際立ち、読者の共感を得られるわけですよ。
当然、多くの人が読みたがるような原稿であれば、
出版社も金を出して買ってくれるわけですねー。
これを実証と言うのですねー。

これで、 3者の関係とそれぞれがどのようなものなのか、
理解できましたかねぇ。

ここで、実証についてもう少し深く説明しておきましょう。
日蓮大聖人は次のように書いていますねぇ。

《己が当体、無作の三身と沙汰するが、
本門の事円の三千の意なり。
これ即ち桜梅桃李の己々の当体を改めずして、
無作の三身と開見すれば、これ即ち「量」の義なり》

信仰活動による功徳の実証の現われ方は、
桜は桜の花ように、梅は梅の花ように、桃は桃の花ように、
すももはすももの花ように、
それぞれの信仰者にとって、最も有益な形で、
花開くということですねー。

経済的に豊かになることが希望の信仰者には、
経済的な実証が出てきますねぇ。
また、精神的な悩みで苦しんでいた人には、
その苦悩を乗り越える精神状態になることで実証が示されますねぇ。

要するに、功徳の実証の出方は、この世に同じ人間がいないように、
その人その人によって、千差万別の形態を示すということですねー。
このことが理解できずに、質問者さんは、
実証のあり方に、「現世利益中心の仏法」 という外面的なものと、
「苦難の内面処理による自己完結」というものとが矛盾していると、
解釈しているわけですよ。
これは大きな誤りですねー。

次に、 3点の疑問については、説明すると長くなりますので、
ヒントだけ書いておきますので、自分で調べてくださいねー。

「立正安国の諌暁は国家に受け入れられず」
というのは、逆に言うと、鎌倉幕府が受け入れて、
日蓮仏法を幕府公認の宗教にしたならば、
大聖人は、末法の仏ではないと言うことになりますよ。
法華経の中に、「如来現在・猶多怨嫉・況滅度後」
と予言した地涌の菩薩ではなくなるでしょう。
よく調べてくださいねー。

「晩年は病を抱えたまま御入滅され」と書いていますが、
仏とはどういうものか、本質的に理解できていませんねぇ。
仏が病気をしないというのであれば、
永遠に生き続けるということではないですか。
そんなバカバカしいことがあるわけがないでしょう。
そういう仏に対する見方は、十界隔別を説いた、
爾前権経の教えの意義が理解できていないからですよ。

「社会的勝利を得たとは言い難い御生涯でした」
と書いていますが、大聖人の生涯を正確に理解できていませんよ。
かなり、理解度が低いですよ。
日蓮大聖人の門下を調べれば、間違いが分かりますよ。

代表的な弟子をあげてみましょうねー。
①富木五郎(若くして鎌倉幕府に支えた役人)
②池上兄弟(父も息子の兄弟も鎌倉幕府に使えて、
武州国の1つの郷を領地にもらっていた)
③四条金吾(北条の江間家の代々の重臣)
④大学三郎(鎌倉幕府の儒官として活躍)
⑤弥源太(北条家の一門で立正安国論を読んでいる)
⑥宿谷入道(幕府の役人で、立証安国論の取り次ぎをした)
⑦南条時光(富士の上野郷の地頭で、鎌倉幕府に仕えた)

ざっと思い出しただけでも、こんなに多くの日蓮門下が、
鎌倉幕府の中で、様々な役人をしているのですよ。
そして、大聖人が佐渡から帰られて、身延山に入られてからは、
こういう社会的な地位を固め、経済的にも豊であった弟子たちが、
全力で大聖人の山中での人材育成の活動を支援されたのですねー。

この状況を質問者さんは、
『日蓮大聖人御自身は、
・立正安国の諌暁は国家に受け入れられず
・晩年は病を抱えたまま御入滅され
・門下は生前から分裂し、社会的勝利を得たとは言い難い御生涯でした』
と書いて、「これは事実です」と言っているのですよ。
こんな、的外れな3点を書いて、「これは事実です」
と言っているようでは、話になりませんよ。

様々な問題提起をするのは結構なことですが、
その問題提起を起こす土台となる事物に対しての認識が、
あまりにも貧弱ですねー。


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