その通りですねー。
ただ、「この使命は、功徳を金銭的成功に矮小化し、
組織の拡大や数の論理を優先した瞬間に失われます」
という事はありえませんねぇ。
日蓮仏法は、個人と他者、個人と社会、人間と環境、
これらの2者の関係とあり方を、
存在の本質から解き明かしている哲学ですねー。
それは、現在の人類が直面している様々な課題に対して、
明快な解析と展望とを有しているものなのですよ。
700年以上も前に、このような哲学を説かれたという事は、
驚きを超えて、奇跡としか言いようがないですね。
大聖人の哲理を見てみましょう。
《人のためによる火をともせば、人のあかるきのみならず、
我が身もあかし。されば、人のいろをませば我がいろまし、
人の力をませば我がちからまさり、
人のいのちをのぶれば我がいのちののぶなり》
この文章は、個人と他者、個人と人間社会との関係を
明確に表現していますねぇ。
時々、中途半端なインテリが、大聖人の書かれた文章を
「幼稚で学術的ではない」などと批判する者がいますねぇ。
まさに、未熟者の思い上がりですねー。
物事の本質を把握している者は、
それが、どのような深遠なものであったとしても、
小学生高学年でも分かるように話ができるものなのですねー。
老年のアインシュタインが、小学生くらいの孫の子供達に、
相対性理論や特殊相対性理論を
分かりやすく話をしてやって、
楽しんでいたというのは、よく知られているエピソードですねー。
今年のノーベル賞受賞した2名の日本人の方の話を聞いても、
研究内容を非常にわかりやすく、説明していましたねぇ。
とかく、本質を理解していない者ほど、
難しい表現を使うものですよ。
裏返せば、本人が理解していない証拠ですねー。
「人のために灯をともせば、自分の前も明るくなる」
これが、日蓮仏法における人と人との繋がりなのですねー。
“自分だけの幸福”もなければ、“他人だけの不幸”もないのです。
自分も周囲の人も共に幸せになっていく中に
真実の幸福があるのですねぇ。
西欧近代「合理主義」の日本への幼稚な輸入によって出てきた、
日本人の基盤になっている自由主義、個人主義というのは、
現在にいたって、明らかに矛盾を露呈してきていますねぇ。
結局、自分の自由と幸福だけを追求することによって、
社会問題となったのは、孤独死ですねー。
また、少子化は、社会問題であると同時に、
出産して子供を育てるよりも、
自分の自由と欲求追求を優先させることによって起こった、
問題でもあるでしょう。
私は、少子化は思想問題でもあると思っています。
これらを根本的に解決するのが創価学会の運動ですねー。
社会学者の中でも、創価学会に対して、
「現在の社会問題の解決策の1つである、
地域コミュニティーに大きな貢献をなす可能性がある」
と期待を寄せていますよ。
さらに大聖人は次のようにも書いていますねぇ。
《国を失い家を滅ぼさば、いずれの所にか世を遁れん。
汝、すべからく一身の安堵を思わば、
まず四表の静謐を禱るべきものか》
多くの宗教教団は、信者が、
「私達は信仰のおかげで幸せです」と言ってるところに、
ミサイルが飛んできて爆発すれば、すべてが終わってしまう、
というような自己満足の宗教ですねー。
日蓮仏法・創価学会はそうではありませんねぇ。
創価学会の根本的テーマは、
「一人ひとりの民衆を救うと同時に、一国の宿命を転換し、
やがては人類の宿命の転換さえも可能にする運動である。
その運動によって、根本的な平和を構築することにある」
これですねー。
現実に国の平和、世界の平和を実現しようと思えば、
政治力は絶対的に必要なものですねぇ。
政治に関わらずに、個人の幸福や平和を論じるのは、
偽善であり、空想ですねー。
創価学会が公明党を設立し、その支援活動に力を入れるのも、
すべては、地域社会や国の安定と平和に対して、
責任を持っていこうとする信念の表れですねー。
「自分自身の平安を願うのであれば、まず、
社会、国家の平和を祈るべきであろう」
という大聖人の教えを運動体として実践しているのが、
創価学会にほかなりませんねぇ。
さらに大聖人は次のようにも書いていますよ。
《十界の外に仏無く仏の外に十界無くして、
依正不二なり、身土不二なり》
《夫れ、十方は依報なり、衆生は正報なり。
依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、
正報なくば依報なし。また正報をば依報をもってこれをつくる》
これは、人間の存在と環境の関係は、一体不二ということですねー。
単純に考えても、地球、空気、自然環境がなければ、
人間の存在はありませんものねぇ。
日蓮仏法は、人間生命の存在とその環境について、
両者の最大限に有益な関係性を築くことができるものなのですねー。
人間と環境は本来、一体不二なんだという単純な真理について、
人間は時々忘れてしまって、人間は環境も支配できると錯覚し、
欲望を優先して、現在のようなしっぺ返しを食らっているのですねー。
創価学会は、早くから、日蓮仏法の依正不二論に基づいて、
環境保全、自然保護に取り組んでいますねぇ。
1992年にブラジルのアマゾナス州マナウス市に
“アマゾンを守ることで人類の生存を守る”との構想により、
「創価研究所ーアマゾン環境研究センター」を設立しましたねぇ。
さらに、創価学会は、2015年に国連で
「持続可能な開発目標(SDGs)」が採択されてより、
SDGsの普及活動、目標達成のための活動を
国際的レベルで、広く行っていますよ 。
ただまあ、世界の仏教徒の数は、約5億人と言われていますねぇ。
世界人口の約7%です。
そのうち、創価学会員は、 1,000万人程度です。
日蓮仏法を根底にした、世界に広がる創価運動は、
まだ、始まったばかりと言えますねぇ。
信仰によって、創価学会員は、本当に「人間革命」しているのでしょうか。現実には、「学会を批判する人は無明」「信じない人は宿業が重い」といった言葉が、無自覚に使われてはいないでしょうか。日蓮は、折伏を「相手を屈服させる行為」としてではなく、慈悲から発する覚醒の対話として位置づけていました。優越感や排他性を強めているのだとしたら、それは「正法」の働きではなく、信仰の組織化による歪みではないでしょうか。
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