実に面白いですねー。
質問者さんの創価学会に対する見方は、
まさに、「左脳に偏りすぎた」ものですねぇ。
質問者さん自身の創価学会に対する認識方法は、
そのまま、質問者さん自身が創価学会対して指摘している、
偏向した見方ですねぇ。
このことに気がつきませんか?
創価学会員の実態が肌身で感じられていないのに、
理屈で解釈しているわけですねー。
「人間は理屈で動くものではない」という言葉を、もじって言えば、
「創価学会の組織は、そんな左脳の理屈で把握ものではない」
ということですねー。
質問者さんが現実に、創価学会の組織の中に入って、
創価学会のみなさんと、肌感覚で接してみれば、
この質問文のようなことは、全て的外れであるという事が、
すぐにわかるでしょうねぇ。
まあ、様々な、学会員ではない一流の評論家、学者、実業家が、
創価学会について、様々な取材をしていますが、
誰1人として「左脳に偏りすぎている」などと指摘した人はいないですよ。
日蓮仏法・創価学会における信・行・学、
信じることと信仰活動をすることと仏法を学ぶこととの関係を
日蓮大聖人は次のように書いていますねぇ。
《行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず。
我もいたし、人をも教化候え。行学は信心よりおこるべく候。
力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし》
これが大聖人の教えであり、創価学会の実態ですよ。
質問者さんの言っている内容とはまったく違いますねぇ。
何よりまず、認識しようとする対象を正確に把握することが、
評価の第一歩ですよね。
それができていないですよ。
創価学会の信心は「左脳に偏りすぎていないか?」という問いについて創価学会では、日蓮仏法を「最も論理的で、科学的で、誰にでも開かれた仏法」と説明することが多いと思います。しかし一方で、「分かっているはずなのに、実感が伴わない」「理屈は正しいのに、心が置いていかれる」と感じたことはないでしょうか。⸻■ 日蓮仏法は本来、左脳だけの仏法ではないでしょう。
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