禅宗にも知識がなく、創価学会のこともよく分からない人が、
この質問文を読むと、「非常に学術的で深い内容があり、
レベルの高いものである」と思うかもしれませんねぇ。
ところが、実際は、禅宗の屁理屈なのですよ。
私は、禅宗の高僧である故山田無文老師のもとで、
座禅の修行をしましたねぇ。
座禅といっても、各派によって、やり方はいろいろなのですよ。
ただ共通している事は、黙って座ることですよ。
「経外別伝不立文字」と言って「釈尊の教えは、
経文に書かれた文字などによって伝わるものではない」
というものなのですねー。
だからひたすら、黙って座って考えるだけなのです。
中には無心に座るという方法もありますが。
どちらにしても、自分の頭の中に、これまで溜めた知識や、
感覚や、知恵で悟りを開こうとするわけですねー。
だから、どんな結論を得たとしても、どんな悟りを開いたとしても、
結局は、自分の妄想でしかないのですよ。
その妄想を仏の悟りだと錯覚するのが禅宗なのですねー。
この質問文はまさにその妄想に過ぎませんねぇ。
「頭破作七分」(法華経)の産物ですねぇ。
従って、創価学会の立場から回答をしようにも、
回答のしようがないのですよ。
戸田城聖なら、今の創価学会の“組織依存の信心”をどう見ただろうか?創価学会では長年、「師弟」「組織」「団結」「行動」が信心の重要要素として語られています。しかし戸田城聖の指導に立ち返ると、それは“信心”なのか、それとも“組織に寄りかかる安心感”なのか?
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