創価学会の「退会者が増えるほど、法は純化される」──退会者が“菩薩的役割”を果たすという仏法的逆説が成り立つだろう?

質問者さんは、組織を見るのに、実に形式的で表面的な
単純な見方しかできないのですねー。
生きている人間が中心にいるんだということに思いが至らないようですねぇ。

寿量品に「如来如実知見」とありますねー。
物事の存在の本質を正確に把握するということですねー。
これが質問者さんには欠けていますねぇ。

例えば、「退会者」と書いていますが、「学会員」との違いは何ですか?
質問者さんの理屈からいけば、退会者と言うのは、
創価学会に対して、退会届を出して籍が無くなる、ということですねー。
こんなことで線引きをしたのでは、
信仰の世界の組織は論じることはできませんよ。

信仰は言うまでもなく心の問題ではないですか。
学会に籍がある会員でも、全く信仰活動もせず、
信仰心のない人もいますよ。
さらに、批判的な学会員も実際にはいますよ。

また、退会者のなかには、結婚等で同居者の反対に合い、
信仰心を持ったまま、退会届を出すという人もいますよ。

実際の創価学会は、これらが例外的ではないのですよ。
それなのに、質問者さんは学会員と
退会者という線引きを単純にしているのですよ。
全く、実態に即していないではないですか。

心の問題を論じるのに、心の面から論じずに、
外形的なところから論じれば、的が外れるのは当たり前でしょう。
だから質問文全体が、支離滅裂になっているのですよ。

退会者への視点が、「法中心なのか、組織中心なのかを分ける基準」
と書いていますが、そんなものになるわけないでしょう。
創価学会・日蓮仏法は「法か組織か」と分離出来るものではないでしょう。
「人法一箇」でしょう。
基本的な錯誤がありますねー。


投稿日

投稿者:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です