現在の創価学会の社会憲章(2021年11月18日施行)に照らすと、かつての強引な折伏を行った学会員は、何を本当に反省すべきだと思いますか?かつて、あるいは今も、「相手のため」「正しいことだから」そう信じて折伏に関わってきた当事者自身への問いです。現在の創価学会の社会憲章には、人間の尊厳の尊重・自発性と主体性の重視・対話による相互理解が、明確に掲げられています。過去に行われてきた、相手の意思や状況を顧みない折伏は、因果構造の観点から見て、何が根本的に間違っていたのでしょうか。

質問者さんは、何か、勘違いをしていますよー。
「かつての強引な折伏を行った学会員は、何を本当に反省すべき」
「何が根本的に間違っていたのでしょうか」
と述べ、 2021年に施行された創価学会社会憲章を
根本的に反省している証拠だとしていますねぇ。

結論から言うと、創価学会は、「過去の折伏の活動は誤っていた」
などとは、全く考えていませんよー。
もし、そうだと言うのであれば、学会が発信している文章の中で、
証左になる部分を挙げてみてください。
もしかすると、私が見落としているかもわかりませんので。

先日の聖教新聞には次のような池田会長の文章が掲載されていますよ。
文中の『多宝会・宝寿会・錦宝会』というのは、
創価学会の発展の土台を築いた世代の人達のことですよ。

【日蓮大聖人は、けなげな門下を讃えられて、繰り返し、
「いつの世にか思い忘るべき」また「いつの世にか・わすらむ」
等と仰せになられております。

わが尊き多宝会・宝寿会・錦宝会の皆様は、
どんなに悪口罵詈を浴びせられようが、
どんなに三障四魔が競い起ころうが、
ただただ広宣流布のために戦い抜いてくださいました。

皆様方の偉大なる功労を、御本仏が照覧されないわけがありません。
いかなる立場にあろうとも、皆様方が生々世々に、
計り知れない大功徳に包まれ、
仏の大境涯を楽しみきっていかれることは、
厳粛な因果の理法に照らして、絶対に間違いないのであります。

皆様こそ、私の胸奥から決して離れることのない、
永遠の同志であり、家族であります。(中略)

「多宝」とは、まさしく、最高無上の宝を、より多く未来の後輩たちに、
伝え残していく生命といってもよいでありましょう。
多宝の友ありてこそ、わが学会は万代に盤石です。

皆様が次の世代、そのまた次の世代に、
わが胸中に燃えさかる「学会精神」を伝えてくださる時にこそ、
「閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」
という仏の「未来記」は完璧に実現されていくのであります。

これからも私と妻は、「いよいよ」の決心で、あの地でもこの地でも、
信頼の柱、希望の太陽として生き抜く多宝会の皆様に題目を送り、
健康長寿を祈り抜いてまいります。

どうか、共々に「生涯青年」の心で、若々しく生き生きと、
大勝利の人生を笑顔で総仕上げしていきましょう!】

これですよ。
言うまでもなく、創価学会の発展期の折伏活動があったからこそ、
現在の、政治的影響力さえ持った創価学会があるわけですねー。
その土台を築いた人達というのは、
皆さん、誇り高く、人生を生きていますよ。

それに対して質問者さんは、
「何を本当に反省すべき・何が根本的に間違っていた」
と捉えているわけですねー。
この捉え方は、 1部の創価学会批判者のものですねぇ。

これは、質問者さんの、
創価学会に対する捉え方の本質でもあるでしょうね。
本質的には、質問者さんの性格の、
宿命的偏向性を表していますねぇ。
もしかすると、あらゆる物事に対する捉え方が、
この宿命的偏向性に支配されているかもしれませんねぇ。

そして、質問者さんに何よりも欠けているのは、
現実の社会運動、民衆運動、革命運動というのは、
実際は、どのようなものなのか、という観点が、
全く理解できていないということでしょうねぇ。
観念論でしか運動体を観られないということですねー。
それは明らかに誤認識ですよ。

わずか90年間の間に、これだけ世界に発展する組織というのは、
その過程においては、様々な批判があって当然ですよ。
その1部の批判を創価学会全体の問題だと
捉えるのは、まさに、偏向的な捉え方でしょう。

創価学会社会憲章は、
そういう偏向的な見方をされないようにするためのものですよ。
その精神は、学会の草創期の折伏活動の時から一貫して
変わらないものですねぇ。

社会憲章を「反省すべき・根本的に間違って」ということを
証明するものととらえるのは、お門違いですねー。


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