現在の創価学会の教学体系は、テクノロジーによる意識拡張社会を理論的に包摂できる段階にあるのでしょうか。それとも、個人的内面モデルの限界が露呈する可能性があるのでしょうか。

要するに、日蓮仏法と科学との線引きの問題ですねー。
日蓮仏法と科学の境界は、融合しているものではなく、
明確な次元の違いが存在するのですよ。

「科学はいくら発達しても宗教にはなり得ないし、
宗教はいくら進化しても科学にはなり得ない」(リョーゼン語録)
ということなんです。

日蓮仏法と科学の関係性については、創価学会第3代池田会長が、
世界的な科学者と対談している書籍がありますので、
それを読むと、明確な境界線が浮かんできますよ。
書籍は、「池田大作全集 第7巻・第103巻」ですねー。
2人の対談相手と、その内容の主な項目だけを紹介しておきますよ。

対談相手のの1人は、アナトーリ・A・ログノフ氏(物理学者)ですねー。
(略歴)
モスクワ大学総長・ソ連科学アカデミー副総裁
ソ連共産党中央委員・最高会議代議員
ソ連核合同研究所理論物理学研究室副室長
プロトヴィノ高エネルギー物理研究所所長

ログノフ氏との対談の主な項目は次のようなものですねぇ。

科学の発達と人間精神の開発との関連
遺伝子工学の進歩について
高度神経活動学説
「時間の旅」は実現するか
宇宙空間と「空」の概念
脳と心の妙なる劇場
「九識論」が解明した心の構造
脳の中の壮大なドラマ
創造的な能力と「毎自作是念」
電磁波に満ちた宇宙空間
現代物理学と仏法の宇宙観
光と鏡と量子の不可思議
光の二重性・粒子と波動
量子力学の描くミクロの世界
万物の実相を解く「円融三諦論」
人間のための遺伝子工学の途
カルマの法則とは何か
右脳左脳の相補性
文明創出の基盤「人間革命」
遺伝子工学・宇宙開発の未来

続いて2人目の対談者は
チャンドラ・ウィックラマシンゲ氏(宇宙物理学者)ですねー。
(略歴)
ケンブリッジ大学ジーザスカレッジの特別研究員
セイロン大学・メリーランド大学・アリゾナ大学・京都大学の客員教授
スリランカ大統領の科学顧問
国連開発計画顧問
スリランカの基礎科学研究所所長
ウェールズ大学カーディフカレッジの学科長

ウィックラマシンゲ氏との対談の主な項目は次のようなものですねぇ。

地球外生物は存在するか
仏教の宇宙論
4次元だけで宇宙は理解できるか
科学と宗教
近代科学とキリスト教
近代科学とギリシャ哲学
危機に直面する科学
科学と仏教の接点
宇宙における人間の位置
人類共同体意識と天文学の使命
人間のための宗教
「心の平和」論
生命尊厳の理念
仏教の社会観
釈尊の「無記」(沈黙)の意味
臨死体験と死の不安の克服
業と輪廻の思想
人工授精・体外受精・胎児診断等
遺伝子工学の未来

これらを読むと、日蓮仏法と科学がどのように関連してくるのか、
しかも関連しながら、明確な次元差がることが、分かってきますねぇ。

言うまでもなく科学は、見えないものを見える化する歴史でしたねぇ。
そしてそれを様々に具体化し、応用して、
生活に役立つものにしているわけです。
その中にはもちろん、武器なども含まれるわけですねー。

例えば、ニュートンは引力を発見しましたねぇ。
目に見えなかった引力を、数式として目に見えるものにしたわけです。
そして、研究は、「引力がなぜ発生するか」あるいは、
「引力が何のために存在するのか」という方向には進まず、
引力の法則によって、様々な現象を予測・計算・検証することが
可能な方向へと進みましたねぇ。
そして、近代力学の基礎となるニュートン力学を築いたわけですねー。

このニュートンの力学の方向性が科学の方向性ですねー。
それに対して、「計算不可能なほどの強大な引力が、
どうして宇宙に無始無終以来、存在しているのか」
というのは日蓮仏法の方向性ですねー。

また、地球上に生命が、どのようにして発生したのか、
様々な説がありますねー。
地球の誕生は、宇宙空間のチリやガスが集まって、
巨大な岩石の塊が形成されと考えられていますねぇ。
当初は高温で溶けた状態だと言われています。

だから、生命体が地球の発生時に存在していた、
という事は考えられませんねぇ。
それで、様々な生命発生の状況が考えられたわけです。

例えば、宇宙からの隕石に生命体が存在したとか、
地球上の無機物に雷のような放電が作用することによって
有機物が作られたとか、熱水噴出孔周辺で、
無機物からタンパク質や核酸が生成され、
単細胞の微生物として生まれたとか言われてますねぇ。

これらは科学の方向性ですねー。
それに対して日蓮仏法は、
宇宙的存在の地球そのものが生命体であり、
条件や環境が整えば、生命を発生させるエネルギーを持っている、
という捉え方ですねー。

明らかに、日蓮仏法の方向性は、
科学の方向性とは次元が違うわけですねー。

さらに、人間自身について見てみましょう。
科学が発達にするにつれて、人間とは何かが随分、分かってきましたねぇ。
遺伝子レベルにまで解明が進むと、
これは、人間にはやはり過去世、
前世から引き継いでいるものがあることが分かりましたねぇ。

科学が発達することによって、現在では、
遺伝的な要因で特定の癌になりやすい人に対し、
出生前に遺伝子を改変する「生殖細胞系列遺伝子治療」が
可能な状態にまでなっていますねぇ。
これは、いわば過去世から引き継いでいる運命を
変えようとするものですねぇ。
これらは、人間把握の科学的な方向性ですねー。

日蓮仏法の人間把握というのは、
どうして、自分が、特定の精子と特定の卵子の結合によって、
生まれなければならなかったのかということの、
解答を求める方向性ですねー。
それは、癌は科学で治せたとしても、
どうして、そういう病気になる要因を持って生まれたのか、
という本質的な疑問に対する解答ですねぇ。

さらに、どうして特定の時代に、特定の場所に、
自分が生まれなければならなかったのかという、
意味を求めることにもなりますねぇ。

自分が、特定の両親のもとに、特定の時代に、
特定の場所に生まれる確率を求めようとするのが、
科学の方向性ですねー。
これは、計算することができませんねぇ。

人類の発生以来、延々と続いてきた生殖の系譜は、
科学で計算出来るものではありませんねぇ。
科学の方向性ではないのです。
日蓮仏法に基づかなければその解答は出ないのです。

さらに、人間の心の方向性からの捉え方も見てみましょう。
日蓮大聖人は次のように書いていますねぇ。

《この御本尊全く余所に求むることなかれ。
ただ我ら衆生の法華経を持って
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり。
これを九識心王真如の都とは申すなり》

《妙法の五字は九識、方便は八識已下なり。
九識は悟りなり、八識已下は迷いなり。
「妙法蓮華経方便品」と題したれば、迷悟不二なり。
森羅三千の諸法、この妙法蓮華経方便にあらずということなきなり》

日蓮仏法では、人間の心的存在の把握を
九識論として捉えていますねぇ。
九識論の構成は次のようなものですねぇ。

第一から五識:(眼・耳・鼻・舌・身)・
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の感覚
第六意識:感覚情報を判断し、思考・空想をする認識主体
第七末那識(まなしき):執着の根源、無意識下の自我意識
第八阿頼耶識(あらやしき):業(カルマ)を蓄積し、
生死の苦楽を生む無意識の蔵
第九阿摩羅識(あまらしき):無垢識、
清浄な真理と一体の根源的な清らかな心

このことについて池田会長はウィックラマシンゲ氏との対談において、
次のように言っていますねぇ。

「心の深層笛と本格的な探究が始まったのは、
西洋においてはやはり、フロイトの精神分析からと言って良いでしょう。
ところが、今日のユング心理学では、
瞑想や神秘的直感を媒介にして仏教に
深い関心を示すに至っております。
さらに、ユング心理学とも関連しながら発展している、
トランスパーソナル心理学では、一段と仏教心理学との接近を強め、
宇宙究極の実在を仏教の宗教的体験を
共有する時代にまで進んでいるように思われます。(中略)
フロイトの発見したのは個人的無意識の領域であり、
ユング自身はその根底に集合的無意識を発見したとしています。
さらにL.ソンディは、両者の間に家族分無意識の領域を提唱しております。
私は、西洋の深層心理学の探究する領域は、
すでに世親らが体系化した唯識論とも重なっており、
フロイトの個人的無意識は末那識の領域に、
ソンディの家族無意識とユングの集合的無意識は、
阿頼耶識領域に相当する、と考えております。」

これは、科学の方向性で日蓮仏法に迫ったものですねぇ。
科学的な方向として阿頼耶識領域までは説明可能なのですが、
最後の阿摩羅識は、仏法の本質であり、
科学的な探究では到達出来ないことを表していますねぇ。

九識論は、例えて言えば、
地球上に生えている植物の地表に現れている部分は、六識までを表し、
七・八識は、根の部分を表していると言えるでしょう。
そして最後の九識の阿摩羅識は、
植物の生えている大地そのものを表しているでしょうねぇ。

だからこの九識の阿摩羅識は、他のすべての植物とも
大地を通してつながり、一体化したものと言えますねぇ。
さらに言えば、宇宙の根本的な存在とも一体化して、
融合していると言えるでしょうねぇ。
ここに依正不二論が成立するわけですねー。

日蓮仏法はこの阿摩羅識をテーマにしたものなのですねー。
そして、人間の存在の本質である阿摩羅識を
地殻変動させることによって、現実の生活、人生を
最大限に優れたものへと変革させるものですねぇ。

これが、日蓮仏法の方向性であり、
科学の方向性とは次元の異なるものであり、
科学が到達出来ないものですねぇ。

ということで、質問者さんの質問内容は、
科学的方向性で、日蓮仏法のすべてが説明できると、
錯覚しているところから来ているものですねぇ。

言葉の端々に見られる憂慮は、
次元の違うものを同次元のものとして把握しようとする矛盾から
発生していると言えるでしょうねぇ。
だから、回答しようにも、的確な回答ができないのですよ。


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