どこかで見たような組織論ですねー。
この組織論がぴったりと符合するのは、
共産主義国家体制ですねー。
時期的には、爛熟期によくある状態ですねー。
ソ連邦にゴルバチョフ氏が登場した頃も、
似たような体制的矛盾が出ていましたねぇ。
ゴルバチョフ氏は言わばは、
良い意味での「虎より幅広く暴力的に狐化」でしょうねぇ。
まあ、ゴルバチョフ氏と池田会長は家族ぐるみの付き合いで、
対談集なども出していますよ。
質問者さんは、この組織論を創価学会に当てはめたわけですねー。
おそらく、創価学会の組織を考える観点として、
共産主義体制のようなイメージがあったのでしょうねぇ。
実は、全く見当はずれになっているわけですよ。
創価学会の事を、少しでも知っている人から見れば、
この組織体制批判は、創価学会とは無関係と思うでしょうねぇ。
まあ、タチの悪い創価学会批判者は
「合致している」と言って、幼稚に喜ぶでしょうけれどね。
どの部分が、創価学会の実態と違うのかということを指摘すると、
キリがないほど多いので、やめますが、
1つだけ、言っておきましょう。
質問者さんは「虎より幅広く暴力的に狐化」と書いていますが、
これに該当する現在の創価学会の現象を念頭に置いてのことでしょう。
しかし実際の創価学会の組織活動というのは、
このように表現されるものとは全く異次元のものなのですねー。
具体的なことは省略しますが、質問者さんの妄想に近い分析ですよ。
全体的に、質問者さんの観点というのは、
ちょうど今、進行している、安倍元総理暗殺事件に対する、
検察側の主張に似通ったところがありますよ。
「殺人という事実に対して量刑を考えるべきであって、
被告の生い立ちや統一教会との関係を考慮すべきではない」
と言うわけですねー。
当然ながら、この考え方は否定された判決が出るでしょうねぇ。
質問者さんの創価学会の組織に対する見方は、
実に表面的ですねー。
しかもそれも、いたるところに瑕疵がありますよ。
組織に現れる現象の真実を理解しようと思えば、
それが出てくる背景を調べなければ、表層的な判断になり、
本質を理解することはできませんねぇ。
これは常識でしょう。
質問者さんのそれぞれの見方に対する背景を説明して、
実際にはどうなのかということを説明すると、これまたキリがないので、
1つだけ、挙げておきましょう。
それは質問者さんが「虎」と表現しているものについてですよ。
質問者さんは、日蓮大聖人を「理想の虎」と表現していますねぇ。
そして学会員をその「威を借る狐」と比喩しているわけです。
このなどは、笑うしかないほど的外れですねー。
日蓮大聖人は次のように書いていますよ。
《凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、
仏は用の三身にして迹仏なり。
しかれば、釈迦仏は我ら衆生のためには
主・師・親の三徳を備え給うと思いしに、さにては候わず、
返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり》
これは非常に重要な教えですよ。
この教えが、創価学会の組織論の根本中の根本なのですねー。
質問者さんが「虎」と表現した仏は、実は、
「仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり」とあるように、
凡夫の存在のおかげで、仏の存在があるということですねー。
仏に、仏としての資格を与えたのは凡夫ということですよ。
これが理解できなければ、創価学会を理解することは不可能ですよ。
創価学会の組織というのは、表面的に見れば見誤りますねぇ。
質問者さんが見てるような表面的な創価学会の組織が全てであれば、
創価学会はとっくの昔につぶれていますよ。
創価学会は現在、「虎の威を借る狐」構造になっている。そして、末端まで狐が暴れ回る逆転権力構造に陥っている。本来虎である日蓮の権威は縮小し、権力を利用する中間幹部が幅を利かせ、末端会員も主体性を失う。信仰はノルマ・上下関係の道具に変質し、教義の本質である仏性開発・自己変革は阻害される。真の改革には、虎本来の権威復権、中間幹部の補助化、末端会員の主体化が不可欠ではないか。
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