創価学会の人間革命で「理想の人間」になれるのでしょうか?

質問者さんは、「事」と「理」の違いが理解できていませんねぇ。
質問の内容は、「理」によって、「事」の全体を論じようとしているので、
ピントボケしたものになっているのですねー。
要するに、次元の違うものを同次元と錯覚をして論じているわけです。

「事」と「理」の違いについて大聖人は次のように書いていますねぇ。

《一念三千の観法に二つあり。一には理、二には事なり。
天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。
彼は迹門の一念三千、これは本門の一念三千なり。
天地はるかに殊なりことなり》

《止観・法華の勝劣は天地雲泥なり》

このように仏法における「事」と「理」の違いは、
天地雲泥の差だというわけですねー。
創価学会は日蓮仏法の「事」を実践しているわけです。
それに対して質問者さんは、浅薄な仏法の「理」で持って、
創価学会を把握したつもりになって、分析しているわけですねー。
創価学会の捉え方が表層的と言わざるを得ませんねぇ。

それに、質問者さんの「理」による仏法の捉え方も、
表面的なもので止まっていますよー。
例えば、「無意識や深層心理の統御までは体系化されていない」
と書いていますが、いったい何を根拠にこんなこと言っているのですか。

天台大師の『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を読みましたか。
東洋哲学研究所から「仏典現代語訳シリーズ『現代語訳 法華玄義・
法華文句』
第三文明選書『摩訶止観・詳細な語注を付した全文の訓読訳』
などが出版されていますから読むことですねぇ。
そうすれば「体系化されていない」などということが言えないことくらい、
すぐに理解できますよ。

次の「微細な日常行為の完全な自覚は難しい」などというのは、
全く日蓮仏法が理解できていないことを表していますねぇ。
日蓮大聖人は次のように書いていますよ。

《自受用身とは、一念三千なり。
伝教云わく「一念三千即自受用身。
自受用身とは、尊形を出でたる仏なり」。
「尊形を出でたる仏」とは、無作の三身ということなり云々。
今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者、これなり云々》

「創価学会の人間革命で『理想の人間』」というのは、
「自受用身・無作の三身」ということですよ。
無作というのは、
「何の人為も加えられていない、
本来のまま、ありのままということ。有作に対する語」
ということですねー。
「微細な日常行為の完全な自覚は難しい」
というのとは、真逆の人間の姿ですよ。

さらに「自我の完全透明化は現状の実践だけでは難しい」
と書いていますが、創価学会の「現状の実践」がどういうものか、
「理」からしかアプローチできていない、表面的なもので、
全く真実が理解できていないところから出てきていますねぇ。

と言うことで、創価学会対する正確な認識が必要ですねー。


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