SGIと日本創価学会は、もう「別物」と言えます。解体して再編した方が良いのではないでしょうか?

質問内容は、創価学会・ SGIに対する認識が、
誤ったところから、発生している疑問であり、主張ですねー。
創価学会・ SGIを正確に知っている者が、この文章を読むと、
まるで、別の団体に対するもののように思えますねぇ。

質問者さんが頭に描いている創価学会・ SGIは、
現実の実態ではなくして、偏狭な我田引水から、
空想したものに過ぎないですねー。

どうしたこれだけ、誤った認識をして、
その上、それに非常な確信が持てるのか、
感心しています。

砂上という誤認識の上に建てた、理論構築の楼閣は、
土台が崩れると、すべて水泡に帰します。(リョーゼン語録)
土台が砂上であることをいちいち説明すると、
キリがありませんので、 2点だけにしておきましょう。

まず、創価と言う言葉の解釈ですねぇ。
創価というのは、価値を創造していくことですねぇ。
人類が根本的に望んでいる生命尊厳の日蓮仏法を根底にして、
社会のあらゆる面において、価値を創造していこうとするものですよ。

その影響は、教育、政治、平和運動、自然保護、等々 、
人間が生きるすべての場面に現れるものですねぇ。
そこに、日蓮仏法という人間の本質に立脚した哲学により、
人間に有益な価値を創造していこうとするものですよ。
創価学会・ SGIの運動というのは、ぴったりと、
日蓮仏法というひとつの原点に合致しているのですねー。

日本の創価学会も、 SGIも全く同じではないですか。
これに対して「名称自体がもはや機能不全」とか、
「SGIと日本創価学会は、もう別物」などというのは、
何を見てそんなことを言っているのですかねぇ。

次に、日蓮仏法という宗教がどういうものか
理解できていないということですねー。
世界宗教とも言える日蓮仏法と次元の低い宗教と
識別することができずに、ひとまとめにして論じているところが、
砂上の楼閣となっているわけですよ。

人間存在の本質に根ざした高度な宗教というものは、
長い年月をかけて、必ず、それに根ざした、
優れた文化、文明というものに昇華されていくものなのですねー。
これは、キリスト教文明や仏教文化の歴史を調べれば、
わかることでしょう。

高度な宗教は、人間の活動のあらゆる面に
影響を与えるものなのですねー。
質問者さんの誤りは、この宗教の文化・文明へ肉化が、
理解できていないということですよ。
だから、質問文にあるような分裂論になるのですねぇ。

宗教という土壌の上に、様々な植物が生い茂るわけですねー。
質問者さんは、その土壌が日蓮仏法だということが理解できずに、
「ひまわりの花と松の木は違うではないか」
と主張しているわけですよ。
とにかく、創価学会・ SGIについて、
まともな認識が必要ですねー。


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