SGIと日本創価学会は、そろそろ“宗教団体”の限界を認めて再編すべきでは?さらに言うと、SGI(創価学会インタナショナル)は、すでに日本創価学会とは別の進化を始めている組織なのに、建前上は「一体」と言い続けています。しかし歴史の因果をたどると、この“二重構造”こそが現状の混乱の最大原因ではないか。

まず、基本的なところで、人間の集団における「理念と運動論」について、
確認をしておきましょう。
理念は活動の羅針盤となり、運動論がその理念を実現するための、
具体的なプロセスや戦略を構成しますねぇ。

結論的には、質問内容は、
この理念と運動論を直結させることによって出てくる、
矛盾を疑問点として提起しているわけですねー。
簡単に言えば、理念と運動論は次元を異にしたものですから、
それを直結すれば、矛盾が出てきて当たり前ですねー。

質問内容を別の例えにすれば、
「イエス・キリストは人類を救うと言っているのに、
未だに人間は戦争で殺し合っているではないか。
この状況は、信者の集まりであるキリスト教会が、
キリストの教えを忠実に実践していない証拠だろう」
と言うことと似ていますねー。

創価学会は、日蓮仏法という理念を
現実の世界に広めるための運動論を展開しているわけですよ。
理念を実現するための過程において、
様々な矛盾をはらむ事は当然のことですねぇ。
これは、社会運動論の常識ですねー。

日蓮大聖人は運動論について次のように書いていますねぇ。

《末法に摂受・折伏あるべし。いわゆる悪国・
破法の両国あるべきゆえなり。
日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし》

これは、日蓮仏法の流布においては、
時代、民族、国などによって、
運動論を変えなければならないということですねー。
さらに具体的に大聖人は次のように書いていますよ。

《無智・悪人の国土に充満の時は、摂受を前とす。
安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は、折伏を前とす。
常不軽品のごとし。
譬えば、熱き時に寒水を用い、寒き時に火をこのむがごとし》

このように日蓮仏法は
理念は変わらないが方法論を変化させなければならない、
という多様性があるからこそ、これだけ世界に広まったわけですねー。
質問者さんは、それが理解できていませんねぇ。

日本の創価学会とSGIとの違いは、摂受・折伏の違いですよ。
それを「お互いに別方向へ進みながら、無理に一つの物語にまとめている」
と言うのは、日蓮仏法の基本が分かっていない証拠ですねー。
日蓮大聖人は、はっきりと書いていますよ。

《夫れ、摂受・折伏と申す法門は、水火のごとし》

1つの日蓮仏法からでてくる運動論が「水火のごとし」と言われるほど、
違いがあるということですよ。
質問者さんは、この違いの本質が理解できずに、
「1つにまとめるのはおかしい」と言っているだけなのですけどねぇ。
理解できませんかねぇ。

なお、「創価教育学会(教育団体)
→ 創価学会(宗教団体)に変質」
ということについては、これもまた、知識不足ですよ。
質問者さんは、牧口初代会長の著した、
「創価教育学体系」を読みましたか。
読めば、「変質」などと言えないことくらい誰でもわかりますけどねぇ。

とにかく、もう少し、しっかり勉強して、
正確な知識と、理解力で問題提起してくださいねー。



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