創価学会は謗法に対する潔癖さを失ってますか?

創価学会は、地球上から、人間が人間を殺し合うという、
根本的な宿命を転換して、人々の幸福と、
世界の平和を口先だけでなく、現実に実現しようとする教団ですよ。
そのためには、あらゆる人々と手を結んで、
協働して世界平和を実現していくしかないのですよねー。
これが、日蓮仏法の本質でもあるのですよねー。

日蓮大聖人は、日蓮仏法の流布のためには、
原理主義、教条主義は大きな弊害になるので、
次のように書かれているのですねー。
謗法についても、時と時代と場所などによって、
様々に変化するものですねぇ。

《委細に経論を勘え見るに、仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は
これに当たれり。この戒の心は、いとう事かけざることをば、
少々仏教にたがうとも、その国の風俗に違うべからざるよし、
仏一つの戒を説き給えり。
この由を知らざる智者ども、
「神は鬼神なれば敬うべからず」なんど申す強義を申して、
多くの檀那を損ずることありと見えて候なり》

この文の中に、すべてが書かれていますよ。

「いとう事かけざることをば、
少々仏教にたがうとも、その国の風俗に違うべからざる」
これは、仏法流布をする場合、少しくらい仏教の教えに違ったとしても、
その時代、社会、国、民族などの風俗、習慣に従わなければ、
広く、布教することはできないということですねー。

原理主義、教条主義というのは、
「鳥居をくぐるったらダメだ。寺に行ったらダメだ」
というようなことですねぇ。
創価学会が、全世界に広まったというのは、
このような日蓮仏法の本質に関わらないことについて、
現実に生活している人々の日常感覚を優先したからですねー。

折伏と摂受についても下記のようにありますねー。

《無智・悪人の国土に充満の時は、摂受を前とす。
安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は、折伏を前とす。
常不軽品のごとし。(中略)
末法に摂受・折伏あるべし。
いわゆる悪国・破法の両国あるべきゆえなり》

これは、日蓮仏法を流布する時の相手国に、
「無智・悪人の国土」と
「邪智・謗法の者の多き」国があるということですねー。
何を持って、 2つに分けたかというと、
「無智・悪人の国土」というのは、大聖人の仏法が流布する前に、
レベルの低い仏教が拡がっていない国ということですねー。
ヨーロッパやアメリカやアフリカなどの地域ですねー。

それに対して「邪智・謗法の者の多き」というのは、
大聖人の仏法が流布する前に、
釈尊が未顕真実と言ったような、
仏法の本質が説かれていない仏教が、
広まってしまった国のことですねぇ。
日本をはじめ、アジア諸国がそれに入りますねぇ。

ところで、創価学会と分離したが日蓮正宗という教団は、
頑なに、原理主義、教条主義を主張しているところなのですよ。
年末に、ベートーベンの「第九」を歌う事を、
「キリスト教に洗脳される」と厳禁していましたねぇ。
こんなことも、創価学会から分離した理由でもあるんですよねー。


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