「声聞・縁覚は“成仏の障り”なのか?」創価学会の教義では、依然として「頭で理解するだけの仏法は死んだ仏法」「実践なき知は声聞・縁覚の心」とされている。「実践第一主義」は、創価学会では「功徳」「現証」を強調しますが、その多くは主観的体験報告の形をとっています。「声聞・縁覚」は永遠に成仏の障りなのか?

そうですねー。
かなり多くの部分で、仏法や創価学会に対して誤って理解していますねぇ。
その誤解の上に、様々な論を組み立てていますので、
全体が真実とは違った内容になっているわけですよ。

その誤りを1つ1つ解説するとかなりの量になりますねぇ。
それで、本質的な1部にだけに止めておきます。

まず、「声聞・縁覚は成仏の障り」と言ったのは、
爾前迹門での話ですよ。法華経にいたっては、
逆に、声聞・縁覚が弘法の働きを助けるわけですねー。
釈尊の弟子の中で声聞・縁覚の代表とされた、
舎利弗・辟支仏のような仏弟子も釈尊の正しさを証明しているのです。

さらにもっと基本的には、声聞とか縁覚というのは、
人間ではないのですよ。心の状態を言った言葉ですねぇ。

例えば、もし声聞と言う人間がいたとしたら、
その人間の頭を理由もなく殴ったとしましょう。
するとその声聞と言う人間は、怒りがこみ上げてくるでしょう。
そうすると、声聞ではなく、修羅の人間になってしまいますねぇ。
いったいその人は、修羅の人間なのか、声聞の人間なのか、
いったいどちらが正しいのか、ということになりますねぇ。

これを十界互具と言います。
質問文を読むと、どうも、「 十界論と十界互具論」の違いが、
理解できていないのではないかと思いますよー。

また、「創価学会の実践主義」については、
かなりひどい誤解がありますねー。

「創価学会の教義では、依然として
『頭で理解するだけの仏法は死んだ仏法
実践なき知は声聞・縁覚の心』とされ」

などと書いていますが、そんなこと、どこで聞いたのですか?
創価学会の指導の中にはありませんよ。
もし、そうだとしたら、創価大学を作る必要もないですねー。
東洋哲学研究所も意味が無くなってしまいますよ。
誤解でしょう。

日蓮大聖人は次のように書いていますねぇ。

《行学の二道をはげみ候べし。
行学たえなば仏法はあるべからず》
《治生産業は、皆実相と相違背せず》

これは、しっかりと仏法の勉強をしなさいと言っているのですねー。
それがなければ、信仰も無い、とさえおっしゃってますよ。
さらに、一般社会のあらゆる出来事、学問なども、
研究し、追求していけば、結局、仏法を証明することになると
教えられていますねぇ。

だから、創価学会が「実践が大事である」というのは、
「哲学と宗教の違い」から言っている次元の話なのですよ。

次に、「創価学会では、功徳・現証が主観的体験報告の形態だ」
と言っていますが、これもまったく、創価学会の実態とは違いますねぇ。
創価学会の功徳・現証というのは、
全く逆の客観的な実証を伴うものですよ。

これは、初代牧口会長から始まる、創価学会の伝統の中の伝統ですよ。
第二代戸田会長は、
「創価学会は宗教を科学的にやる、実験証明教団である」
と言っていますねぇ。
ちょうど、下記のURLに戸田会長の音声レコードがありますよ。
https://sokadaigiten.tokyo/other/2704/

この中の、 NO。19音声1「創価学会について・その1」
の中で、 5分ほど経過したところに、その話がありますよ。

まあ、誤りを指摘すればきりがないので、このくらいにしておきましょう。
このように、誤解から論を進めている故に、
推論の内容が、いい加減なものになっているのですよ。

例えば、「菩薩的文明、縁起的成仏、成仏の現証」
と言う風に表現していますが、
菩薩や成仏という言葉の意味を
正確に理解できていないところから使っているので、
薄っぺらなものになっているのです。

成仏した人間の頭を急に殴ってやると、
修羅の人間に瞬間に変わるのですよ。
これが人間の真実の姿ですねー。
この現実から離れて、これからの世界に広がる仏法はありませんねぇ。


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