そうですねー。
日蓮仏法の哲学は、非常にレベルの高い理論的なものですねぇ。
その仏法哲理を徹底して学べば、創価学会の信仰の裏付けを
理論的に理解することはできます。
しかしそれはあくまで理論であって、
現実に信仰の素晴らしさを体験として得た訳ではありませんねぇ。
この理論と現実の違いを、大聖人は次のように書いていますねぇ。
《一念三千の観法に二つあり。一には理、二には事なり。
天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。
観念すでに勝る故に、大難また色まさる。彼は迹門の一念三千、
これは本門の一念三千なり。天地はるかに殊なりことなり》
理論で創価学会の信心のことが理解できることと、
体験で理解できることと比較すると、
《天地はるかに殊なりことなり》ということになるわけですねー。
結局、信仰の素晴らしさは体験によって納得できるということですねー。
このことをさらに大聖人は次のようにも強調されていますねぇ。
《これらの現証をもってこれを信ずべきなり》
《一切は現証にはしかず》
《日蓮、仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。
また道理・証文よりも現証にはすぎず》
現証と言うのは体験ですねー。
創価学会の信仰は、理論でもなければ、観念でもなければ、
まして洗脳でもなく、
現実に体験として第三者から認められるような結果が出るからこそ、
これだけ世界に広がっているわけですねー。
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