法華経の方便品には、 「深智のために説く。浅識はこれを聞いて迷惑してさとらず。一切の声聞及び縁覚は、この教の中において力及ばざる所なり」とある。 これは、「深い理解力(深智)がなければ仏の境地には至れない」という意味だ。 もしそうなら、創価学会が言うような、単に唱題するだけでは、功徳も成仏もないだろう。

そうですねー。
単純に、法華経の文章を間違って理解しているだけの話ですよ。
質問者さんの言っている方便品の文章は、次の部分ですねー。

【爲深智説 淺識聞之 迷惑不解】

「法華経は難しいので、ほとんどの人間は理解することができない」
と言っているわけですねー。
これは何が言いたかったのかというと、同じく方便品に
次のように書いていますねぇ。

【佛所成就第一希有難解之法。
唯佛與佛乃能究盡諸法實相】

これは「法華経は、最も難解な法門なので、
仏にしか理解できないのである。だから、
仏と仏の間でしか、やりとりすることができない法門である」
ということが言いたかったわけですねー。

余談ですが、このことを悪用したのが念仏宗ですねー。
「法華経は素晴らしいが、難しすぎて誰も理解できない。
千人が信仰したとしても、誰も仏にはなれない。
すなわち 『千中無一』だ。
それより、誰でも理解できる念仏を唱えれば、
極楽浄土に行けて仏になれる」
こんなことを念仏宗の開祖である善導・法然が言って、
念仏宗を創ったわけですねー。
非常に多くの人が、これにだまされましたねぇ。

さて、それで、釈尊はどうして、
法華経をそんなに難しいものであると言いたかったのかというと、
次のように言っていますねぇ。

【以信得入 況餘聲聞 其餘聲聞
信佛語故 隨順此經 非己智分】

これは、「最高に賢い 舎利弗ですら、なお、この法華経においては、
信をもって入ることができたのだ。それ以下の声聞は、
信じる事によってしか、
法華経を理解することができないのは言うまでもない。
法華経を理解するというのは、
自分の知恵によって出来るものではないのだ」
ということですねー。

結論としては、釈尊は、「法華経を理解して仏界を得ることができるのは、
『以信得入』すなわち信じることが最も大切なのである」
と言っているわけですねー。
質問者さんの言っていることが、
間違っていることが理解できましたかねぇ。

この釈尊の教えからすれば、創価学会が主張している、
「文底の法華経の本尊を信じて、法華経の題目を唱える」ことが、
最高の成仏に至る修行である事は明確ですねー。


投稿日

投稿者:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です