日蓮大聖人は、日蓮仏法の流布のためには、
原理主義、教条主義は大きな弊害になるので、
次のように書かれているのですねー。
《委細に経論を勘え見るに、仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は
これに当たれり。この戒の心は、いとう事かけざることをば、
少々仏教にたがうとも、その国の風俗に違うべからざるよし、
仏一つの戒を説き給えり。
この由を知らざる智者ども、
「神は鬼神なれば敬うべからず」なんど申す強義を申して、
多くの檀那を損ずることありと見えて候なり》
この文の中に、すべてが書かれていますよ。
「いとう事かけざることをば、
少々仏教にたがうとも、その国の風俗に違うべからざる」
これは、仏法流布をする場合、少しくらい仏教の教えに違ったとしても、
その時代、社会、国、民族などの風俗、習慣に従わなければ、
広く、布教することはできないということですねー。
原理主義、教条主義というのは、
「鳥居をくぐるったらダメだ。寺に行ったらダメだ」
というようなことですねぇ。
創価学会が、全世界に広まったというのは、
このような日蓮仏法の本質に関わらないことについて、
現実に生活している人々の日常感覚を優先したからですねー。
ところで、創価学会と分離したが日蓮正宗という教団は、
頑なに、原理主義、教条主義を主張しているところなのですよ。
年末に、ベートーベンの「第九」を歌う事を、
「キリスト教に洗脳される」と厳禁していましたねぇ。
こんなことも、創価学会から分離した理由でもあるんですよねー。
創価学会入ってるので 神社に行ったらダメですか?
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