話は簡単なのですよ。
言うまでもなく釈尊は、目の前の人々に対して、
救済の説法をし、僧侶たちに対して教理を説いたわけですねー。
その当時は、文字は確立していないし、まともな筆記用具もありません。
だから釈尊は、教えを一切、文字にせずに亡くなりましたねぇ。
その後、多くの弟子たちが、
釈尊の教え、すなわち仏教を後世に伝えるということで、
集まって、お互いの記憶を出して、教えをまとめていったわけですねー。
これを仏典結集と言いますよ。
第一回の仏典結集は、死後、すぐに行われましたねぇ。
これ以降、仏教界は、多くの分裂、分派が起きますねぇ。
代表的なのは、上座部と大衆部との分裂ですねー。
その中でもまた、分裂をおこして、非常に多くの分派ができるのですよー。
だから、これ以降の仏典結集は、
様々な異論が出ている仏教をまとめる役割をも担なったわけですねー。
釈尊の死後100年ほどして、第二回の仏典結集が行われましたねぇ。
ここでしっかり押さえなければいけないのは、
仏典結集といっても、文字で仏教が書かれたわけではありませんよ。
何百人もの弟子たちが集まって、
「私は釈尊からこのような教えを聞いた」と言って発表し合うのですねー。
ほとんどの経文の最初に書いてある「如是我聞(にょぜがもん)」
(かくのごとく、我は聞けり)という言葉は、
このことを意味していますよー。
ただ、釈尊が亡くなって、既に100年経っているわけですから、
釈尊の教えを直接聞いた僧侶は誰もいません。
全員、先輩から聞いた内容なのですねー。
その中には、耳で聞いた先輩からの釈尊の教えですから、
内容の違うものもいくらでもあるわけですねー。
だから、どちらが正しいのかということを議論しながら進めるわけです。
それと同時に若い僧侶にしっかりと教えを暗記させて、
次の世代へ引き継がせたわけですねー。
仏教が文字化されたのは、第3回仏典結集の時ですねー。
釈尊の死後、 200年も経っていましたよー。
この時は、パーリ語で記載されましたねぇ。
さらにそれから100年以上経って、第4回目の仏典結集が行われました。
この時初めて、サンスクリット語で記載されましたねぇ。
この辺から、いわゆる、大乗仏教と言われるような内容が、
経文化されていったわけですねー。
ここに「大乗非仏説論」の根拠があるわけですよ。
「仏典結集の第3回までには、
大乗仏教という内容が明確になっていない。
大乗仏教は、後世の人間の作ったものであり、
釈尊の教えではない」
というわけですねー。
まあ、実にバカバカしい、幼稚な論拠ですねー。
各仏典結集では、数百人から1,000 人に近い弟子たちが、
対立する意見なども出しながら、
正確に、釈尊の真意に従った教えを文字化したわけですねー。
そうして出来た経文には、釈尊の精神が、教えが、
脈々と受け継がれているわけですねー。
大乗仏教を非仏説というのであれば、現在の仏教経典は、
すべて非仏説と言わなければなりません。
なにせ、最初に文字化されたのは、釈尊の死後、
200年も経ってからなのですよ。
非仏説論の根拠からすれば、
200年もの間、人間の記憶が正確に引き継がれるなんて、
ありえないということになるでしょう。
大乗非仏説論が愚論であるというこを
別の観点から考えてみましょう。
それを示す具体的な例として、
私はいつも源氏物語を提示するのですよ。
源氏物語は、原文が紛失してありません。
書写される中で、様々な相違を含みながら、継承されていますねぇ。
研究者は、その相違を分類し、系統づけたりしていますよ。
さらに、最後の部分である「宇治十帖」と言われる文章は、
紫式部ではない別人が、彼女の死後、
付け加えて書いたものだというのが、かなりの有力な説です。
確かに、古文の好きな高校生が読んでも、
「宇治十帖」はそれまでの部分と、
違ったフィーリングを持っているのがすぐに分かりますねぇ。
その根拠として「宇治十帖」に使われている助詞をすべて書き出して、
「宇治十帖」と同じ分量の他の部分の助詞とを比較して調べると、
助詞の種類別の数として、明らかな違いがあるのが分かるのですねー。
とても、同一人物が書いた文章とは思えない相違ですねー。
このように、源氏物語が、作者の書いた原本とは多くの箇所で、
違っていたとしても、源氏物語の文学的高さは、不変ですよ。
その理由は、原作者のものと違ったとしても、
作品そのものが素晴らしければ、作品の価値は優れているのです。
仏教も同じですねぇ。作者が誰であろうが、書かれた経文が、
仏教的に優れたものであれば、すなわち、仏説ですねぇ。
だから、最大のポイントは、経文の高低浅深を
見極めるだけの学識があるかどうかです。
このような、大乗非仏説論に対する反論の根拠は、
多くの人が賛同しているところですねぇ。
ということで、大乗非仏説論によって、
大乗教が、その代表である法華経が、
釈尊の教えではなく、低級なものであるというのは、
迷論の代表であるとは言えるでしょうねぇ。
創価学会は、大乗非仏説論に対して、どのような反論をするのか?
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“創価学会は、大乗非仏説論に対して、どのような反論をするのか?” への4件のフィードバック
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仏教の歴史において、教義や実践の変更・発展が「時・場所・人」に応じて正しいとされてきました。
しかし、そのような判断を下す者は本当に“仏の境涯”に達していたと言えるのでしょうか?
たとえば、「随機」「随方」「随時」といった言葉があります。これは仏教が教えを説くにあたって、人それぞれの能力や時代、土地に応じて内容を変えるという原則です。
しかし、その判断は一体「誰」が、「どのような基準」で下すのでしょうか?
もし仏の境地に達した者でなければ判断が誤っていた場合、それに従う人々すら間違った修行をしてしまうのではないでしょうか?
この疑問を、初期仏教から例えば創価学会までの流れの中で整理してみました。【1】初期仏教:釈尊以外に“判断権者”はいない
仏教の始まりにおいて、正しい判断を下せるのは釈尊ただ一人です。
弟子たちは仏の言葉と戒律を忠実に守ることを最優先とし、教義の変更や新たな判断は原則として認められませんでした。
仏滅後、弟子たちが経典を編集・伝承していく中で、「自己流の解釈」が混乱を招くのを防ぐため、経と律の厳密な保持が正統性の源とされました。【2】部派仏教〜大乗仏教:集団または菩薩による“仏意の再構成”
仏滅後に分裂した部派仏教では、複数の長老たちによる合議が判断の根拠となります。
しかし、それでも「誰が仏の意志を正しく理解しているのか」という問題は残りました。
やがて大乗仏教が登場すると、状況が大きく変わります。
大乗では「釈尊の久遠の本意は後の時代に現れる菩薩によって明かされる」として、仏の境涯を得た者が再登場するという発想が強調されます。
法華経や華厳経などは、「新たに出現した仏の使い(菩薩)」が説いたとされ、時代・機根に応じた判断を肯定します。
しかし、それが実際に「仏意」だったのかどうかは、現実的には信仰によってしか確認できません。【3】中国・日本仏教:宗祖たちによる「仏意の体系化」
中国では天台智顗や華厳の法蔵などが、仏の説法を「五時八教」などで分類し、仏の意図を論理的に体系化しようと試みました。
日本では最澄・空海・親鸞・道元らが、自己の体験・教学を通じて「この時代・この民にふさわしい仏道とは何か」を提示しました。
しかし、彼らが「仏の境涯」に実際に到達していたのかは、弟子や後継者、あるいは社会の評価によって判断されるしかありません。
ここでも「仏の意志」と「人間の解釈」の間に、厳密な検証手段はありませんでした。【4】日蓮と創価学会:仏意の代弁から仏そのものへ
日蓮は、仏教全体を再解釈し、「末法の時代には法華経だけが有効である」とし、さらに自らを「上行菩薩」ないしは「下種仏」として定義します。
この段階では、「仏の意志を代弁する存在」ではなく、「仏の意志そのものとして現れる存在」という、より強い自己定義が登場します。創価学会においては、この思想をさらに民衆的に転換し、「誰もが仏界を持ち、判断力を発揮できる存在である」と説きます。
ここでは、仏の境地とは遠い高みにあるものではなく、「人間の中にある可能性」へと再定義されています。
【5】では、歴代の判断は本当に正しかったのか?
歴代の仏教者は、時代や場所、人々の苦しみに応じて、教義や実践の形式を変化させてきました。
その変化が「正しかった」かどうかは、最終的には次のような基準に委ねられているように思います。
• その教えが苦悩を取り除き、人々に智慧と安らぎを与えたか
• 仏の本質──慈悲・智慧・中道──にかなっているか
• 後世において、人々がそれを仏法として受け入れ続けたかつまり、「その判断を下した人物が仏の境涯にあったかどうか」よりも、その判断が仏のような働きを果たしたかどうかが、事後的に評価されています。
仏の境地とは、確認も証明も困難な内面的体験です。
だからこそ、各時代の判断が本当に正しいかどうかは、「仏のように人を救い、真理に導く力があったか」という実践的な評価に委ねられてきました。その意味で、「仏とは何か」を問い直し、“仏の働き”をどこに見出すかが問われます。
仏教における「判断の正統性」は、しばしば“仏の境地”に達した者の言葉とされてきましたが、その内証は他者に検証できません。
まるで、文学作品が作者の人生観や時代背景を超えて、読者によって新たに解釈されるように、仏法の教えもまた時代ごとに再読され、再構築されてきました。
日蓮も「末法」という歴史観の中で、自らの教えを仏の本懐と位置づけましたが、それが真に仏意にかなっていたかは、結果として人々の生命にどれだけ新しい価値をもたらし、創造し、変革をもたらしたかによって評価されます。
仏法は、新しい地平を示し、人の心を開いていく力をもつものだからこそ、時代を超えて重要な存在です。形式のための仏法、伝統のための儀式は、単なる空理空論に堕しかねません。真に大切なのは、美しく整った教義体系ではなく、それを通じて人が新たな生き方やものの見方に目覚め、現実を変革していけるかどうかであろうと思います。
では、はたして、仏法はこれまで社会に対して真に変革的な力を持ち得てきたのか、そしてこれからもその影響力を持ち続けることができるとお考えでしょうか?-
そうですねー。
仏教、宗教というのは面白いですねー。
何が面白いかというと、「仏教の迷路」・「宗教の迷路」に
入ってしまい、そこからどのように抜け出すかを考えるのが、
楽しいですねー。
まあ、この迷路の言葉は、私が命名したのですが。多くの宗教系大学では、宗教学の講座がありますねー。
私も受講しました。
言うまでもなく、担当教授の得意分野の宗教学ですねー。例えば、ある教授は、仏教fは主に東アジアに広まったわけですけれど、
逆の西側、ヨーロッパにはどのように伝わったのかを研究していましたねぇ。
大学が休みのときには、現地へ行き発掘調査をしていましたよ。確かにヨーロッパも思想的に仏教の影響受けていますねぇ。
ショーペンハウエルなどは、彼の哲学に仏教を
取り入れたことはよく知られていますねぇ。余談になりますが、私がドイツ語を学んだ頃は、
Schopenhauherの発音は「ショーペンハウエル」ですねー。
erはエルと発音するのが、当たり前でしたけどねぇ。
いつの間にか、ショーペンハウアーと言うようになりましたねぇ。
当然、エルの方が、ドイツ語らしくて良いのにねー。
英語圏の影響を受けて発音が変化しているようです。彼の「幸福について・人生論」などを読みましたねぇ。
彼に影響を受けたキルケゴールの「死に至る病」」も読みましたねぇ。
内容は忘れてしまいましたが、残っているイメージとしては、
確かに、仏教で説く、諸行無常、厭離穢土欣求浄土の
思想に底通するものがあるような気がしますね。また、別の教授は、同じ経文のサンスクリットの漢訳に、
どのような違いがあるかを研究していましたねぇ。
そして、サンスクリットの経文の真理はどちらにあるのか、
と講義していました。
これだけは、ついて行けなかったですねー。さらに、その宗派の最高位の僧侶の講義も受けましたねぇ。
弟子達を多く従えての講義でしたよ。
内容は、その宗派の極めて専門的なものでしたねぇ。
一般的な仏教の知識がある人が聞いても、理解できないでしょうね。この僧侶は、体育館のような広い教室での講義だったのですが、
壇上から話をしませんでしたね。
受講者と同じ高さのフロアに立って、講義しましたねぇ。
最後には、受講者のつまらない質問にも、丁寧に答えていました。
講義の内容よりも、その姿に好感を抱きましたよ。また私は、 10数年間、カトリック関係の施設に関係した
仕事をしていましたよ。
多くの、神父の方、信者の方と付き合いがありましたねぇ。
なかには、カトリック関係の書物を出版している神父もいましたよ。
現在でもその中の多くの人と付き合っていますねぇ。キリスト教がどういう信仰であり、その施設、教団が、
どういう課題を抱えているかも、肌感覚で知っていますよ。また、少々余談の話となりますが、
私自身も、「神を求めた私の記録 (1967年) 」
という書籍を、何度も読みましたねぇ。この書籍は、イゾベル・クーン が著者で、
最初に英国で出版されましたねぇ。
その年に六版を重ねるほど、当時としては非常によく読まれた書籍ですねー。
特に、キリスト教信者の間では名著として知られているものです。書き出しは、キリスト教信者の家庭に育ったイゾベルが、
成長して、大学に進学する頃から、幼い時から信じ切っていた、
神様の存在に懐疑的になるところから出発しますねぇ。一時期の私は、
「この世に無限地獄というものがあるのなら、
今の私のことだ」
と思えるほど苦しい日々を送っていました。
その時、神に救いを求めて、この書籍をすがるように読みましたねぇ。そして、苦しみ抜き、神を求め抜いた結論として、
「もし本当に神が存在するならば、
無限の地獄の苦しみを受け続けている私を、こそ、
救ってくれるはずだ。ところがその救いがない。
この世に神が存在しない証拠だ」
と呆然としましたねぇ。このように、様々に宗教にかかわってきた中で、
私がしみじみと感じた事は、
誰1人、宗教の高低浅深正邪を客観的に
説明できた人はいなかったということですねー。
まして、第三者が納得できるような根拠で、
「この宗派が、世界の中で最高の宗教です」
と説明できた人はだれもいませんでしたねぇ。
もちろん、自己満足的な自宗の賛嘆はありましたが。これはどういうことか?
それぞれの宗教者が、知識や確信がないのか?
そうではないですねー。
要するに、これが宗教というものですねぇ。もちろん、「イワシの頭も信心から」というような低レベルな
宗教の話ではないですよ。高等宗教と言われるようなレベルの話ですよ。
そういう宗教の高低浅深正邪というのは、
第三者が、客観的に決定するものではないということですねー。経文や教義の検証、歴史的な事実確認、考古学的な研究、
このようなものによって、宗教の評価が出来るものではないと言うことです。
学術的な研究成果によって、宗教の価値判断ができるというのは、
大きな誤りですねー。例えば、『法華経』の開経である『無量義経』には、
「四十余年未顕真実」と明確に書いています。
これは、釈尊が、
「私がこれまで説いてきた経文には、真実は話していません。
これから説く、法華経にのみ、私の本当に言いたかったことを説きます」
ということですねー。という事は、釈尊の説いたは、華厳、 阿含、方等、般若時などの
経文は釈尊の本意ではなく、真実の逆、
ウソの話だということになりますねぇ。ところが仏教界の現状はどうですか?
法華経以外の経文を依拠とした宗派はいくらでもありますねー。
それぞれが、自宗の経文を法華経より劣るとは考えていないのですよ。
実際は、これだけ『無量義経』に明確に書かれているにもかかわらず、
「この四十余年未顕真実は、法華経を最高としたものではない」
という解釈を、それぞれの論拠をもとに取っているのですねー。さらに、禅宗のように「経外別伝不立文字」と言って、
「釈尊の真実に言いたい事は、経文という文字などによって
概念化されるものではない」と主張されると、
仏教の高低浅深正邪の判断は誰もできないでしょう。結論的には、質問者さんは、疑問の解答を学術的なものに、
求めようとしていますが、それは「お門違い」ということですねー。
仏教には実は、「判断の正統性」などという客観的なものはないのですよ。
仏教界の現状を見れば、それが簡単に分かるでしょう。時々 、そのように錯覚する人がいますねぇ。
次のような裁判事例がありましたが、これなども、
質問者さんと同じように、仏教に対して勘違いをしている人ですねー。創価学会が、1972年(昭和47年)、静岡県の日蓮正宗の大石寺
という寺の敷地に、正本堂という非常に大きな礼拝堂を
建設しましたねぇ。
その時に多くの学会員の人に寄付を募ったわけですねー。その時の趣意書に次のような内容がありましたねぇ。
「正本堂には、日蓮大聖人ご真筆の大御本尊を安置する。
正本堂完成が、日本の広宣流布の時である」
こういうものでしたねぇ。この主意書に賛同して、寄付をした人の中から、
建築後、寄付金返還訴訟が起こされましたねぇ。
その訴訟理由には、・「ご真筆の大御本尊」と言っていたのに、
その本尊は真筆ではないと言うことが判明している。
・「広宣流布の時」と言っていたが、その後、創価学会は、
「まだ広宣流布していない」と主張を変えた。ということでしたねぇ。
この裁判は、最高裁ままでいきましたねぇ。
そして最終判決の趣旨は次のようなものでしたねぇ。・本尊が真筆あるかどうかは裁判所が決めるものではない。
・広宣流布の時かどうかは、創価学会が決めるものであり、
裁判所が判定するものではない。というようなものでしたねぇ。
要するに、これらは宗教的なものであり、
法律を扱う裁判所が判定するものとしてふさわしくない、
ということでしたねぇ。
実際の判決文の結論部分は次のようなものでしたねぇ。「結局本件訴訟は、その実質において法令の適用
による終局的な解決の不可能なものであつて、
裁判所法三条にいう法律上の争訟に
あたらないものといわなければならない」ちょうど質問者さんは、創価学会に対する仏教上の疑問を、
裁判所で、法律的な問題として解決しようとしているのと
同じなのですよ。さて、それでは、以上のような仏教の現状であるにもかかわらず、
どうして創価学会は、
「日蓮仏法こそ世界最高峰の教えであり、
それを実践している創価学会は、人々の幸福と世界平和を
実現しようとする優れた教団である」
と主張するのでしょうか?これについては話が長くなりますから、
下記など参考にしてくださいねー。
https://tinyurl.com/2cfw6vtz
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(コメントに感謝)
非常に分かりやすく、しかも、
ポイントを誤らずに説明できていると思いますねぇ。
特に、追記、訂正するようなところもありませんよ。その上で、説明するときに参考になるかもしれないことを、
書いておきますよ。古今東西の世界的宗教の創始者は、皆、
悟りを開いたわけです。
その悟りとは何かといえば、「宇宙の存在とは何か」ということにほかなりませんねぇ。
宇宙は、現在の科学や帰納法的思考では決して捉えられませんねぇ。簡単な話が、我々の真上をどこまでも上昇したとしたら、
どうなるのか。この回答は科学的には誰も出すことができませんねぇ。
「宇宙の果てに到達する」と言えば、
「その果てに壁があるとするならば、必ず壁の外側が存在するだろう。
両側のない壁など、この世に存在するわけがない」
と当然、考えられますねぇ。逆に、
「どこまでも上昇できて、永遠に宇宙に果てはない」と言えば、
そんな存在など考えられるわけがないですねー。
われわれは「存在」と認識することはすべて、
「果て」があるからこそ、覚知することができるわけですねー。まあ、この宇宙の把握に対する矛盾を少しなりとも、
謎解きしてくれたのは、アインシュタインの、
「物質が存在する場所では空間が曲がる」
という相対性理論ではないでしょうかねぇ。また、宇宙の存在の不思議さは、その想像もつかないエネルギー源は、
どこから出てくるのか、ということですねー。
例えば、地球は太陽の周りを自転しながら公転していますねぇ。
いったいこれだけのエネルギーはどこから来るのでしょうか。時々 、「慣性の法則で回り続ける」という人がいますが、
それは、「絶対無」の空間での話ですねー。
宇宙空間には、地球の動きを妨げるような宇宙塵や磁場、
素粒子、宇宙線がいっぱいなのですねー。
この世に、「絶対無」の空間など存在しないのですねー。
その中で、地球は回り続けているわけですよ。もし、太陽系の寿命が尽きて、太陽も惑星も消滅したとしても、
また宇宙のどこかで、
恒星を中心にした太陽系と同じようなものが出来るわけですねー。
こういう、生滅を繰り返す、考えることもできないようなエネルギーは、
どこにあるのでしょうか。このような宇宙の存在は、
「ある」とか「ない」というような相対的な概念で捉えられるものではありませんねぇ。
絶対的存在、永遠の存在というように捉えねばならないでしょう。この宇宙の存在を多くの宗教の創始者が、
ダルマ(法)として捉えようとしたわけです。
ですから、現在、様々の「法」が、各宗教によって掲示されているわけです。キリスト教は、この「法」を神と関連づけたわけですねー。
神という、人間にとって、自由に概念規定しやすいものにしたので、
これだけ世界に広まったとも言えるでしょうねぇ。釈尊はこの法について、
「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」(涅槃経)
という見方をしているわけですねー。余談になりますが、日本人の諸行無常に対する捉え方は、
釈尊の言いたいこととは、全く違う次元なのですよねー。
平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
は、人生の虚しさを表していますが、
釈尊はそんな意味では使っていませんねぇ。まぁ、中世鎌倉時代は、日蓮大聖人の時代でもありますが、
「世の中が末法に入り、仏法によって救われない人々の時代」
という、デカダンスのような、世の中の雰囲気がありましたので、
それに合わして使ったのでしょうねぇ。釈尊は、生滅を繰り返す事象を超越した時、
「為楽」すなわち仏の悟りがあると言っていますねぇ。
生々滅々を繰り返している宇宙の中に、
永遠不滅の絶対的存在を観ているわけです。
この仏の悟りが「法」ということですねー。とかく宗教は、絶対的存在に対して、
人格化、神格化、仏格化したがるものです。
しかし、釈尊の説いた「法」にそんなものはありませんねぇ。だから、「永遠の仏」 、大規模サーバー、すなわち宇宙存在の本質には、
意思などないのです。
「法」を保っているのですねー。「歴史上の釈迦」は、大規模サーバーの意思によって、
アプリである「法」がインストールされたのではなく、
自らの悟りによって、自らインストールの操作をしたわけですねー。このことを釈尊は、「我本行菩薩道」(法華経)と言っているのです。
「私は、計り知れない大昔の久遠に、成仏するための法を修行して、
仏になったのだよ」
と言ったわけです。これを聞いた当時の弟子たちは、驚きましたねぇ。
「エッ、釈尊はもともとの仏様ではなく、
我々と同じように、仏道修行をして仏様になったのか?」
と衝撃が走ったわけです。釈尊はこのことを、「如我等無異」(法華経)と言いましたねぇ。
「そうだよ。法に従って仏道修行すれば、
凡夫であろうが、あらゆる人々が全員、成仏できるのだよ」
といったわけですねー。ここで、「凡夫と仏との間に、生命の可能性としては全く差異は無い」
と言う事を明確にしたわけですねー。
あらゆる人々は、「法」に依って修行すれば、
1人も残らず、成仏できると言う可能性を宣言したわけですよ。大宇宙の中に存在する、すべての生命体というのは、
生々滅々を繰り返している宇宙の中で、
同じように、生々滅々を繰り返しながら、
永遠に存在しているものですねぇ。すなわち、人間の生命も、宇宙の存在そのものであると言えるでしょう。
「人間は小宇宙である」という人もいますねぇ。
だから、、「法に依って修行する」という事は、
人間の生命の本質的存在を、他者から与えられるのではなく、
自ら力強く顕現して行くということを意味していますねぇ。大規模サーバーの内包しているアプリというのは、
実は、あらゆる人々の生命の中に存在している生命力を
意味しているでしょう。
それをインストールすること、すなわち、縁することによって、
その人の本質的な生命力を引き出すということになるでしょう。ここで、最大のポイントがあります。
それは、釈尊が仏になった大昔の久遠の「法」というのは、
実は、現在も全く、変わらず存在しているということですねー。
それは当然でしょう。釈尊の時代も、現在の時代にも、
宇宙の存在は不変に続いているわけですから。これを「久遠即末法」と言いますねぇ。
大聖人は次のように書かれています。「『我は本菩薩の道を行ず』これなり。日蓮が修行は久遠を移せり」
「釈尊が修行して仏になった『法』を日蓮大聖人が、
現在、実践して人々を仏の境涯にしている」ということですねー。
決して、むかし話ではないのです。現在の話なのですねー。なお、この「法」を、天台大師は「一念三千論」として、
理論的体系を完成させました。
これを、理論であるが故に「理の一念三千」と言います。
それに対して、大聖人は、現実に人々が、
「法」を実践して依報ともに幸福境涯へと変革させるが故に、
「事の一念三千」と表現していますねぇ。
この「法」がすなわち、南無妙法蓮華経なのですねー。以上、何かの参考になれば。
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「永遠の仏」と「歴史上の釈迦」をサーバー⇔アプリに例えた説明は正しい?―ご意見をお聞かせください
⸻
こんにちは。仏教の三身説や『法華経』第16章の「久遠成仏」を分かりやすく説明するため、以下のような比喩を考えました。日常的に使わない仏教の専門用語は極力省き、身近なイメージでまとめています。
⸻
(要約)
1. 「永遠の仏さま」=大規模サーバーのようなもの
• 時空を超えて常に稼働する「普遍の叡智と慈悲のプログラム」。
2. 「歴史上の釈迦」=そのサーバーが人間世界向けにインストールされたアプリ
• 大乗経典でいう「方便」によって、私たちが理解しやすい「肉体を伴った姿」としてダウンロード&起動。
• 遺伝子や前世の記憶をクローン・復元したわけではなく、必要な機能だけを抽出し直して再構築しているイメージ。
3. 「別の惑星で生きていた仏」ではない理由
• 比喩的に「あらゆる世界で動くプログラム」があるとされるだけで、物理的にどこかの星で前世を過ごしたという意味ではない。• この説明は大乗仏教の教え(とくに法華経の「久遠成仏説」)を正しくかみくだけていますか?
• 専門用語を使わずに伝えるうえで、誤解を招く箇所や不自然な例えはありませんでしょうか?
• 初学者・中級者・研究者など、どのレベルの方にも「わかりやすい」と感じていただけるでしょうか?
• ほかに、もっと適切な現代的置き換えや補足すべきポイントがあればぜひ教えてください!
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