随方毘尼の議論は、主に中国、インドで行われていましたねぇ。
中国唐代の律宗の僧侶、道宣は、随方毘尼論を主張しています。
それは、仏教の出家者の集団である僧伽における規則・規律を
時代や地域、風俗や習慣に適合するものにしても良いとしているのですねー。
それに対して、同じく、唐代の7世紀後半に活躍した義浄 は、
インドでも仏教研鑽をした僧侶ですが、 『南海寄帰内法伝』を
書いて、随方毘尼論を批判しましたねぇ。
釈尊が決定した戒律を、勝手に、地域や時代に合わせて、
都合の良いように解釈をしてはいけない、と主張したわけです。
中国やインドでは、この論争は、しばしば行われています。
これを日本に持ち込んだのは鑑真ですねー。
鑑真 は、奈良時代、中国から日本に戒律を伝え、
日本に律宗を開いた僧侶ですねぇ。
また、天台宗を伝えた僧侶としても有名ですねー。
そして、 奈良の東大寺に日本初の戒壇を設立して、
授戒ができるようにしました。
さらに、唐招提寺を建立した人ですねー。
仏教が日本に伝来したのは538年です。
鑑真が日本に渡ったのは753年ですねー。
この頃の日本の仏教界は、ちょうど、南都6宗と言われる、
仏教の宗派が形成されていく時期でした。
その中で、鑑真は、戒律を中心にした律宗を開いたわけです。
律と言うのは、毘尼 ということなのですねー。
いわば、戒律すなわち毘尼ということについて、
最も専門的な宗派であったと言えるわけですねー。
大切なポイントは、この鑑真は、道宣の随方毘尼論の流れをくむ
僧侶だったのですよ。
鑑真は、聖武天皇、孝謙天皇、光明皇后らに授戒をしましたねぇ。
このことは、鑑真の随方毘尼論が朝廷から、
認められたことを意味していますねぇ。
当然ながら、他宗派も随方毘尼論の流れを汲んだと言えます。
だから、日本では初めから、随方毘尼論を肯定する、
仏教だったということですねー。
これが、日本で随方毘尼論争が起こらなかった理由ですよ。
ところで、中国で随方毘尼論争が起きたとき、
誰もが危惧したのは、随方毘尼の拡大解釈であり、
悪用だったのですよ。
その危惧は、現在の日本の仏教界で、
残念ながら、まともに的中してしまいましたねぇ。
日本の寺では、次のような事が、
当たり前に行われています。
おみくじを引く、朱印を受ける、本坪鈴を鳴らす、願い事を絵馬に書く、
お守りを買う、願文を書いた紙を結びつける、
祈祷札に願文を書いて燃やす、
仏像に触って祈願する、線香の煙を浴びる、釈迦像に甘茶をかける、
等々 、数えたらきりがありません。
これ以外にも、寺が独自で考え出したお参りの仕方もたくさんありますねー。
こんなことは、仏教とはまったく関係のないことですねー。
お釈迦さんが生きていて、こんなことをしているのを見れば、
「バカじゃないの」と哀れに思うでしょうねぇ。
これが、随方毘尼だと言うのですよ。
あきれるしかありませんねぇ。
さらに、現在の日本の僧侶の実生活は、
出家僧と言えるものとは程遠いものです。
妻帯する、肉を食べる、酒を飲む、蓄髪(頭の髪の毛を生やす) 、
在家と同じ服装をする、ギャンブルをする、風俗に通う、
等々 、一般人と全く変わりません。
いやそれ以上に程度がひどいですねー。
これらも随方毘尼と言うのですねー。
もし、お釈迦さんが見たら、
「お前ら、僧じゃないだろう」と怒り心頭に発するでしょうねぇ。
これが、日本の仏教界の現状ですよ。
随方毘尼の悪用そのものですねー。
現在、随方毘尼という釈尊の真意を理解し、
実践しているのは、創価学会のみですねー。
これは本当の話ですよ。
創価学会は、随方毘尼と言っているが、他の宗派でも使われている言葉なのか?
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