キリスト教は、排他的一神教だ。同じように排他的宗教には、創価学会がある。創価学会は、どのような分類になるのか?

まず、創価学会を排他的宗教と定義づけているのは、
誤りですねー。
創価学会が信奉している日蓮大聖人は、次のように書かれていますよ。

《「もし深く世法を識らば、即ちこれ仏法なり」ととかれ、
涅槃経には「一切世間の外道の経書は、
皆これ仏説にして外道の説にあらず」等云々》

これは、意訳すると、「創価学会の思想は、一般社会の、
優れた学問、芸術、科学、文化全般の内容と同じである」
ということですねー。
「皆これ仏説」と明言されているでしょう。

創価学会が排他的な教団ではないと言うことが、
明確ではないですか。
現実の創価学会の活動としても、それがよく分かりますねぇ。

昨年は、創価学会の原田会長が、ローマで、ローマ教皇と会見し、
世界平和について共感を交えましたねぇ。

第3代池田会長は、ロシアのゴルバチョフ大統領、
キューバのカストロ議長、中国の周恩来総理、
南アフリカのマンデラ大統領、等々 、
宗教や思想や政治体制の相違を越えて、
人々の幸福と世界の平和のための対話を、命の限り続けられましたねぇ。
まさに創価学会が排他的宗教ではない証拠でしょう。

それから、一神教が、多神教か、ということについては、
創価学会は、そんな浅薄な概念で捉えられるような宗教ではないのですよ。
日蓮大聖人は次のように書かれていますねぇ。

《この御本尊全く余所に求むることなかれ。
ただ我ら衆生の法華経を持って
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり》

《我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉って、
我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて
顕れ給うところを仏とは云うなり》

このように説かれていますねぇ。
創価学会が拝んでいるのは、一神でも、多神でもないのですよ。
すべての人間の生命にある、本源的な姿を拝んでいるのですねー。
ある絶対的な存在者などと言うもの信じるほど、
低次元の宗教ではないのですよ。

創価学会について知れば知るほど、
人間の存在の本質論から様々な活動や思想が、
出ていることがわかりますよ。
幼稚な創価学会批判者が考えているようなものではありませんねぇ。


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