仏教の理解がないまま、「原爆は仏罰」という言葉を解釈すると、
質問者さんの言うような事になるわけですねー。
仏罰とは何か、日蓮大聖人は次のように教えています。
《もし己心の外に法ありと思わば、
全く妙法にあらず、麤法(そほう)なり》
これは、「仏の作用が、もし、自分の生命の中に存在するものではなく、
外の世界から働きかけるものである、と考えるのは、
真実の仏教ではない」
ということですねー。
この教えは、仏罰というのは、「絶対的な存在の仏がいて、
それが現実の世界に出てきて、悪い者に罰を与える」
というようなものではない、という事ですねぇ。
真実の仏教というのは、そんな幼稚なおとぎ話とは違うのです。
仏罰というのは、生命に内在するマイナス要因が、
結果として、それに応じた環境世界になることを言っているのですねー。
だから、「原爆は仏罰」というのは、
日本の国を1つの生命体と考えて、そこに内在する国家神道という、
他の国々に対して危険を及ぼす宗教に対応して、
起きたものであるということですねー。
国家神道というのは、日本国が神の国として世界の中心になり、
他の国は従うべきであるというものです。
従わせるための武力は、神の意志として正当化されますねぇ。
周囲の国に対してこんな危険な宗教を保っていたから、
米国から原爆を投下されたわけです。
このことを「原爆は仏罰」と表現しているわけですねー。
国内的に考えれば、絶対的な平和主義である創価学会と
その会長に対して、神道に裏付けされた国家権力が、
激しい弾圧を加えました。
牧口創価学会初代会長は、終戦を待たずに獄死をしましたねぇ。
このような極悪な神道を国家の宗教として保っていたからこそ、
その報いとして、結果的に原爆を投下されることになったわけですねー。
当然ながら、日本が国家神道を国教とせず、
仏教を国教としていたとしたら、原爆は投下されなかったでしょう。
原爆投下の根本的な要因は国家神道にあったことは明らかですねー。
このことを「正法を誹謗した報い」と表現しているわけです。
「原爆は仏罰」ということで、創価学会を批判するのは、
極めて単純な仏教解釈の誤りから来ているわけですねー。
創価学会が、1961年に発行した「会長講演集第三巻」には、池田会長が、原爆投下について「仏罰」、「日本の国が正法を誹謗した報い」などと表現している。原爆で犠牲になった人々に対して、こんな屈辱的な表現はないだろう。
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