大聖人様は、十四誹謗に対して次のように教えられています。
【釈に云わく「阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し、
毘盧の身土は凡下の一念を逾えず」云々。
十四誹謗の心は文に任せて推量あるべし】
十四誹謗というのは、自分自身の命の在り方を
テーマにしているものです。
具体的に接する他者が、正法の護持者であろうがなかろうが、
関係がありません。
自分の命の中に創価学会員をバカにするような傾向があれば、
実際に誹謗しなかったとしても、十四誹謗に当たります。
大聖人様はさらに次のようにも教えられています。
【譬喩品の十四誹謗も不信を以て体と為せり】
十四誹謗の命というのは、「本質的に、
正法を信じられないというところから来ている」と言うことです。
これを読めば、他者に対する誹謗ではなく、
自分自身の命の中のテーマであるということがよくわかるでしょう。
大聖人様は、他者への対し方については、
次のように教えられています。
【法華経を持たざる者をさえ、
「もし持ちやせんずらん、仏性あり」とて、かくのごとく礼拝し給う】
「相手が学会員であろうがなかろうが、
人間としての最大の敬意を持って接しなさい」
ということですねー。
人間なら誰の命の中にもある十四誹謗の命を
創価学会員として仏道修行することにより、
仏界の命が湧現できるように人間革命しなさい、
ということです。
これが、【毘盧の身土は凡下の一念を逾えず】
ということに外なりません。
十四誹謗とは何ですか?
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