当然ながら、教義の高低を調べればよいわけです。
現代の発達した科学や医学、社会学などと
矛盾していないかを調べれば、かなりふるいにかけれます。
「宗教とは不合理なものを信じることである」
などというのは、邪教です。
「イワシの頭も信心から」と同じです。
愚かな人が引っかかる宗教です。
最高の宗教というのは、科学の発達が教義の正しさを
証明するものです。
例えば、医学の発展が、その宗教の生命観を
裏づけるようなものです。
最大のポイントは、
「宗教のための宗教ではなく、人間のための宗教である」
ということです。
邪教は、宗教が目的となり、
人間をその目標達成のための手段にするものです。
キリスト教やイスラム教などは、
宗教戦争と言われるものを起こしていますが、
根本的原因は人間を手段化しているところです。
人間を宗教の手段化にする教義には共通点があります。
それは、「人間を超越した絶対者」の存在を説くものです。
頭を冷やして常識的に考えてみてください。
その「絶対者」とは、
人間の頭脳が作り出した概念に他ならないではないですか。
そんなもののために人間が手段化されるというのは、
人間がコンピューターの指示通りに動く、
操り人形になるということです。
総合的に検証して、最も優れているのは、
創価学会と言えるでしょうねぇ。
邪宗教と善宗教を見分けるポイントは、何ですか?
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