細かいことを言うようですが、創価学会の信仰は、
頼る、ようなものではありませんねぇ。
もしそうであれば、
「信じるものは救われる」と同じですねー。
こんな、人間に対して不平等な事はありえませんねぇ。
だって、「信じたものは救われ、信じなかったものは不幸になる」
なんてバカバカしいことが、常識的に考えて、あるわけがないでしょう。
そんな非常識なことが「ある」と教えている宗教は、
すべて、自己満足ですねー。
例えば、今、目の前で腕をけがをして、血を流している人がいるとします。
当然、痛いのは当たり前です。
ところが、自己満足の宗教を信じている人は、
「これは、絶対者の思いやりであり、
痛くないどころか、感謝の気持ちです」
などと、言うのですねー。
呆れてしまうでしょうが、
ほとんどの宗教は、こんなものなのですよ。
結局、他力本願で、何かに頼って、救われると妄想するのですね。
創価学会の信仰というのは、
こんな自己満足で、自分を慰めるのとは全く違うのです。
現実に、客観的な姿として幸福を築けるものなのですねー。
そういう意味で、公明党も設立したのですねー。
だって、「世の中を平和にする」
などと宗教団体が言ったとしても、
政治力がなければ、そんなこと出来る訳がないでしょう。
何かを頼るような宗教で、世の中が平和になると思うのは、
幼稚な妄想でしかないですねー。
人間は、創価学会に頼るのは、良いことでしょうか。
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