SNSの創価学会の人は同志の質問にはあまり答えないで批判的な書き込みには敏感に反応する人が多いように感じます。なぜこのような現象になるのか?

そうですねー。
SNSに対する社会の捉え方は、急激に変わってきていますねぇ。
直近の兵庫県知事選や昨年の衆議院選挙などを見ても、
SNSを単なる風評として無視することができない影響力を
持っていることが実証されましたねぇ。

広宣流布の活動は、社会の最先端を動かすものです。
社会を牽引していく運動です。
社会に取り残されるような形態では、広宣流布はできないでしょう。

SNSの社会的影響力が小さかった以前であれば、
SNS上の創価学会に対する中傷批判など、
「歯牙にもかけない」で、活動すればよかったのです。

むしろ、そんなアブノーマルな雰囲気のする、
創価学会批判に関わること自体が、
創価学会の品位を下げたり、日蓮仏法の権威を
傷つけるような社会状況でした。

ところが現在は、 SNSは市民権を完全に得たと言えるでしょうねぇ。
いや、社会風潮を形成する1つの大きな柱になっている、
と言っても過言ではないでしょうねぇ。
Z世代が、社会のニュースを得る手段で最も多いのが、
新聞やテレビ報道よりも、
SNSだということからもそれがよくわかります。

そうすると、これまで無視して触れない方が良かった、
SNSの創価学会批判に対して、何も反論しなければ、
その誤った情報が、創価学会の事実として、
社会一般に誤認される可能性は間違いなくありますねー。

だからSNSにおいても、
SNSに対する意識の強い創価学会員さんが、
創価学会批判に対して反論を行っているのです。

なにせ、SNSのタチの悪い創価学会批判者というのは、
人権意識や差別意識に対する侵害を
平気で行うような連中が多いですねー。

この質問の回答の批判内容を見てもわかるでしょう。
全部、ガセネタで、またはその情報に洗脳された愚鈍な批判者が、
創価学会を中傷批判しているわけですよ。
これらに対する反論、反撃の言論闘争については、
御書に次のようにありますねー。

《悪を滅するを「功」と云い、善を生ずるを「徳」と云うなり》

《謗法を責めずして成仏を願わば、火の中に水を求め、
水の中に火を尋ぬるがごとくなるべし。はかなし、はかなし》

このように、正しく仏道修行の実践になるのです。

もちろん、SNSが創価学会の座談会のような、
心温まるような場になる事は、楽しいことですねぇ。
ただ、創価学会の座談会というのは、
伝統的に、創価学会批判の友人がいつも参加していたものです。

学会員も学会員でない人も、一緒に集まって、
人生を、社会を、国を、平和を共々に考え、
ざっくばらんに話し合ったものですねぇ。


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