まず、仏教の基本的なことを押さえましょう。
釈尊が仏教を説いた目的は何か?
それは、釈尊が「四門出遊」で説法しているように、
人間を根本的な苦しみから救済することですねー。
そして、救済すべき人間は誰かと言えば、
民衆、凡夫であり、全人類ですねぇ。
1部の特権階級や知識階級を対象にしたものではありませんよ。
そうすると、もし、
「法華経の内容をきちんと理解したうえで、題目をあげている」
というような事を信仰の条件にしたならば、
1部の知識階級以外は、だれも仏教の信仰ができないでしょう。
現在でも、法華経を正確に理解している人など、
実際にはほとんど、いないのですよ。
それが証拠に、法華経に関する書物を読めば、
それぞれの作者によって内容が全部、違うのですよ。
これは本当の話ですよ。
釈尊は、1部の特権階級だけの人間を対象に救済するために
仏教を説いたのではありません。
釈尊が信仰のあり方の模範とした弟子に、
スリーハンドクという人がいます。
(AI による概要)
スリーハンドク(シュリハンドク)は、お釈迦様の弟子である周利槃特(しゅりはんどく)の異称です。
周利槃特は、十大弟子の一人に数えられますが、勉強が苦手で、自分の名前も書けなかったと言われています。物覚えが悪く、朝聞いたことも夜になると忘れてしまうため、他の弟子たちから馬鹿にされていました。
しかし、釈迦から受けたわずかな教えをひたむきに修行し、阿羅漢果を得ることができました。
このように仏教というのは、ごちゃごちゃと屁理屈を理解しなければ、
信仰出来ないというものではないのですねぇ。
むしろ、純粋な信仰心こそ仏教理解の最大のポイントなのです。
この釈尊の信仰の在り方を受け継いでいるのが日蓮大聖人ですねぇ。
日蓮大聖人の教えに次のようなものがあります。
《この御本尊もただ信心の二字におさまれり。
「信をもって入ることを得たり」とは、これなり》
《仏法の根本は信をもって源とす。
されば、止観の四に云わく「仏法は海のごとし。
ただ信のみ能く入る」》
これらはいずれも、
釈尊の信仰のあり方と同じことを教えた内容ですねぇ。
時々 、創価学会員に対して、
「経文の意味もわからないくせに、題目だけ唱えている。妄信だ」
と誹謗中傷する者がいます。
何のことはない、そんなことを言っている本人が、
仏教に無知なのですねー。
創価学会員は、法華経の内容を正確に理解したうえで、題目をあげているのか?
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